熊切和嘉『私の男』

海炭市叙景」で地方の湿っているのか乾いているのかよくわからない空気を撮り、「夏の終り」の冒頭10分で満島ひかりの可愛さを掬いとった熊切和嘉。

まさかの錦糸町、楽天地シネマが満員になったのは賞のせいだろうが、よかったよかった。

タブー視、禁忌を強調するのは外だけで、スクリーンに流氷がこれでもかと広がり、まっとうな、どこまでもエロい、終わらない二人が見られる素晴らしき「私の男

おれの子、好きだった女の子ども、家族の一員、愛する女

流氷、寒さ、海の上で揺れる船、平屋、ゴミ屋敷、金魚、眼鏡、タクシー、東京

ジム・オルークのこすり小刻みの高音が流氷のぶつかり合いになり、その目前で花(二階堂ふみ)が笑顔で平泳ぎするように両腕を交差させ、開く動作を繰り返す。そこで花の問い《超可愛いでしょ?》。これは強烈だった。超可愛いというより美しいのだが、その問いのまえでは《超可愛い》としか言えない。音楽も素晴らしい。このシーンだけで見る価値があった。

耳につけて相手に発見されるよりも、問いのワンクッションを置いて口を開き、晒すほうが効果的だと知っている女学生は眼鏡を外して後ろから胸を揉まれ、キスをされ、交わり、血を流す。本当の父の血か、男の血か、そんなことはどうでもよく、本当の父のように交わることがこの二人には至極まっとうな道のように見えるのだろう。

のちにそれは間違いだったとわかり、それでも「私の全部だ」と宣言したように、諦めをこめた伏し目で語り、相変わらず薄く繊細な皮膜、外と内を分つ一部を外してもらうような仲。

形式上、父と娘であり、その二人が性交をするというタブーを犯しており、外から邪魔が入る。一般的に間違っている、常軌を逸している、生理的に受け入れらない関係だからといって外から介入しても幸せな結末などありえない。「お前には無理だよ」という言葉どおり、二人のあいだにしかないもの、理解しえないものが存在する。そこにこそタブー、触れてはならないもの、禁忌が設けられてもよさそうだが、二人は常に外の視線に曝される。外から遮断されているはずの家でさえ。

外からの安易で、軽率な介入はバス会社のすれきったおばさんが「年頃の女の子は潔癖だから気をつけなさい」と言うように、まったく二人のことを知らなくても行なわれる。「存在の耐えられない軽さ」のトマーシュが浮気先で髪を洗うのを忘れていたことを詰られるようなことはないが、たとえ自分の中から発する匂いでなくとも性交でついた匂いには気づきにくいものなのだろうか。指だったらすぐに気づきそうではあるが。

その指の匂いは性交の痕跡として残され、淳吾は花を送ってきた高良健吾の指を舐めて確認する。花は寝ていたが、起きていても止めることはなかったかもしれない。

殺人がどういった影響を与えたのか具体的には明示されず、痕跡として散乱するショートホープ、家の外まで出たゴミ、汚い身なりなどが示される。ショートホープはちょっとこれ見よがしだった。

恋愛ものとなると終盤の沈み具合、静けさがなんとも面白くなく、そこでお涙頂戴がはいると身の毛がよだつのだが、今作では別の男と花が結婚するというのに寂しさ哀しさセンチメンタルはなく「お前には無理だよ」という捨て台詞が花の足スリスリとともに輝き、決して終わらない。

 

私の男 (文春文庫)

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海炭市叙景 [DVD]

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夏の終り [DVD]

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