成瀬巳喜男『流れる』

 

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1956年、成瀬巳喜男の女の映画《流れる》

金井美恵子によると冒頭と結びで現れる川の流れが意味するものは《行く川の流れは絶えずしてしかも元の水ではなく、流れに浮かぶうたかたが結びかつ消える》という人生の比喩であることは先刻互いに承知の上らしい。

フランソワ・オゾンの《8人の女たち》みたいに当時の有名女優たちが多く出演しているが、いっしょになって明るく騒ぐ場面は、置屋という場所柄もあってか、ほとんどない。

山田五十鈴高峰秀子田中絹代杉村春子岡田茉莉子原節子高峰秀子共存しないか。

二階の部屋でひとり、畳の真ん中に腰を下ろして三味線を弾く山田五十鈴はものすごい貫禄なのだが、娘と芸者を叱っても金がないために威厳が保てず、家の歴史にも圧し潰されようとしている。高峰秀子が後を継げばいいのに、おなじみの強情で、気に入らない男に媚びる芸者という役回りを嫌がる。田中絹代梨花女中として雇われ、住み込みで三千円、休みは2日、家にいる女たちみなに仕事を頼まれるというブラックぶりにも嫌な顔ひとつせず、そら評判にもなる。

問題は芸者なのだから金と男、杉村春子は同棲していた男に里に帰られ、岡田茉莉子はより多くの金を求めて部屋を出、高峰秀子は結婚は嫌だ、男に頼りたくないと男に振り回されてきた母を見て思い、その山田五十鈴は遁走した芸者女の田舎=外部の父親《ノコギリ山》に怒鳴りちらされ、金をせびられ、別の女将を通して昔の男に融通をお願いする。

山田五十鈴切れ長の一見すると怖そうな目、高峰秀子の口。一瞬にして表情が変わり、場をつくりだす。高峰秀子杉村春子の《男はいらないんだって》の嫌味ったらしい朗唱に口をひんまげて階段を上がっていく。山田五十鈴は一点をぼんやりと見つめて三味線を弾いて寄る辺なさを醸し、客が来たときは目を細めて愛想を与え、男がこないと知ったときは目を見開き、伏せ、涙を流す。

また、山田五十鈴は着替えの最中でも髪をほつれさせ、疲れた顔で、女としての魅力を失いつつあっていまさら男に頼るなんて… と諦めを見せるが、高峰秀子は母の影響で男嫌いではあるが肉感のある腕をさらすワンピースや半袖のニットを着て胸を強調し、十分にエロを醸しているという対比が見てとれる。

後年の小津の《東京暮色》における山田五十鈴が演じる、出奔し、《軽めの男》と再婚した母は肌こそ見せないが《落ち目の》主人という肩書きはなく寄りつきやすいのだろう。

いずれ家が立ち退かされることも知らずに、これまで通り、稽古をつけ、杉村春子と差し向かって三味線を弾き、長唄を歌う山田五十鈴はそのまま川の流れに任される。

芸者たちが支度をする置屋、母と娘と女中が住まう一室で進行する物語で原作の幸田文の小説には存在する梨花のナレーションというか女たちへの感想は存在せず、女優たちのしぐさと語りに集中するため小説より演劇に近しい。小説を原作として語るのに必要な緊張は言葉ではなく、装置、役者の声、身体、しぐさによってもたらされるのであり、《流れる》は稀な成功例。

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