2012→2013→2016 WATTISMUSICFOR

映画/音楽/文学/美術

不正義の果て クロード・ランズマン 2013

もともとは『ショア』のため1975年に撮影されたインタヴューに、新たに撮りおろされたパートを加えて構成されている。中心となるインタヴュー・パートは《テレージェンシュタット》強制収容所ユダヤ評議会最後の長老として戦争を生き延び、当時ローマに住んでいたベンヤミン・ムルメルシュタイン(1905-1989)という人物の姿を映し出す。《テレージェンシュタット》とは、ホロコーストの“総責任者”アドルフ・アイヒマンにより国外向けプロパガンダ(美化)のための“理想のゲットー(模範的収容所)”として建設された。そしてユダヤ評議会というのは、ナチスがゲットーを管理するための機構だった。つまり評議会ナチスとの直接交渉を行い、その命令によって人々の生き死にを左右しなければならないという役割を負っていたのである。ムルメルシュタイン自身もまた、7年もの間アイヒマン本人と丁々発止のやりとりを続けながら、ほかの長老たちがあるいは処刑され、あるいは自殺する中でひとり生き延びた。思想家ゲルショム・ショーレムなどは、エルサレムにおける裁判でアイヒマンに下された絞首刑という判決には異議を唱えながらも、ムルメルシュタインは処刑されるべきであると主張した。実際、戦後彼はチェコで裁判にかけられているが、すべての容疑について無罪の判決を獲得している。ただし本人はその際に、こんな言葉を残したのだという。「ユダヤ人長老は有罪となってしかるべきだ。だが長老の立場とはどんなものか誰も分かるまい」。そこから自らを、「The last of the unjust(最後の正しくない人)」と呼ぶ。(サイトより)

アイヒマンが凡庸な悪だなんてとんでもない、デーモンだ。裁判の様を見てのアーレントの感想よりこちらのほうが説得力がある。《冒険欲》、家族もいてその家族を守りたい、自分たちは生き延びたいと思うのならアメリカやイギリスにも逃げられたものを、エルサレム(当時はパレスチナ)に帰還する許可証を送ってもらったにもかかわらずそれを他人に譲ってその場に留まった長老、収容所に移送される前にフランス、スペイン、ポルトガルユダヤ人を移送するプロジェクトを成功させ、アイヒマンに強制送還をやめるなと拳銃で脅されながらもなんとか持ちこたえるが、テレージェンシュタットに派遣され、衛生課と技術課という専門外の課の長に任命されながらも屋根裏部屋をチフス患者のための病室に建て替えさせ、美しいテレージェンシュタットという物語を語りつづけるために美化運動を推進し、そのまま生き延びる。嫌われていたらしい。そのやり方はたしかに長としての権力を使って人びとに命令するもので、反感も買うだろうが論理的であり筋は通っている。失敗すれば死ぬ、しかも自分だけでなくここにいる全員が、という責任と恐怖によって緊張感はあっただろう。それがひとには理解されない。殉死者は聖人ではない。セックスも金も生き延びるために使われていた。死者の重々しさはその語りにはない。ランズマンがたまにあなたは組織の話ばかりで悲惨さについてはあまり語られませんね、とえぐいことを聞くと、じゃあ、と骨壺を処分させられた話をする。最終解決、死者の存在した証さえ残さぬよう、灰までも処分すること。それは44年10月、命令によってなされ、これはやばいと感じたムルメルシュタインは週70時間労働を命じ、組織を堅固なものとする。

プレゼント、キャンプ、紳士ぶる余裕はありません、新しい泉を探せさもなくば(間、微笑)死を意味する、カディッシュ、コロセウムが存続すればローマも存続する、骨壷を処分すればテレーゼンシュダットは消滅する、無力の権力、アウトバーン上の恐竜=ユダヤ人長老・・・

ランズマンの詩的感傷的な説明よりはこの太ったおっちゃんのほうが断然、おもしろい。