ロバート・フランク『キャンディ・マウンテン』

1987年にビート?

ロバート・フランクが63歳のとき。ジョー・ストラマーアート・リンゼイが主人公のギターを強奪するところは微笑ましい。

トム・ウェイツはブラジルカラー。緑のカラー、黄色のポロ、青いチノを着てお庭でパター練習。歌う。

車がやたらと変わる。車がないとアメリカ人じゃない。生きていけない。大泉洋の若いときみたいなへたれな主人公が《きっかけ》として伝説のギター職人を見つけ出してギターつくってもらって一攫千金、旅に出たのはいいが、ガソリンスタンドで早速彼女に逃げられ、乗せてくれた前歯のないおっさんは金をせびる、トム・ウェイツは金持ちのくせにサンダーバードを主人公の持ち金の半分で売る。

ようやくその伝説のエルモアの家に辿り着いたと思ったらココ・ヤマザキ? 小生意気な小金持のお高く止まった日本人女は主人公が顔を歪めるように、かなりうっとおしい。

まさかのビュル・オジェ。こちらも拙い英語だが、いつのまにか裸になっている。正気を保つためのセックス。あたたかみ。

もう仕事は終わったとばかりに嬉々とした笑みを見せる主人公に対してエルモア《自由と路上は別だよ》と言う。どうしてそんなことを言ったのかさっぱり覚えていないが、老年の実感で、これは路上と自由のどちらがいいのか言いたいのではないだろう。エルモアは実際に少なからず金をもち、女のいるところを転々とし、路上にいたのだが、自由はなかった。短絡的なビートと酒とセックスとそれなりの金が自由かというとそうではなく、自由を求めるならそこじゃない。主人公はギターと金ときっかけを求めていたが、短絡の産物であり、その先がない。

欲望の浅ましさ。トレーラーハウスにいた三人家族のヒステリックな母親の滑稽さ。あそこまでくるといったい何を欲望しているのかすらわからず、興味深いが金であっさり解決するだろう。

結局、エルモアは『現金に手を出すな』のマックス(ジャン・ギャバン)のように《これで終わりにしよう》としてココにすべてのギターを手渡し、それ以外のギターは廃棄し、主人公には何も残らず、漏電。

暗い坂道を早足で下りながらハーモニカ、火のついたギターが海へ投げられる、キラキラネオンのギターを楽しげに弾く、といった一連の動きが何の感傷もなく大げさでもなく、乾いた連鎖を見せる。

一応ちゃんとした物語があって、始まりと終わりがあるロードムービーというジャンル。ロバート・フランクは物語を語る。目的、意味から逃れられない路の上で。

 

オン・ザ・ロード (河出文庫)

オン・ザ・ロード (河出文庫)