トーマス・デマンド展 @ MOT

ドイツの現代美術作家の日本では初めての展覧会。社会的な事件を切りとった写真のイメージを元に紙でその空間を再現して写真に撮り、写真を作品とする(紙でつくられたものはすべて処分するらしい)。手の込んだ、つくりこまれた作品。

以下、フォトグラファーズ・ギャラリー・プレス no.9でマイケル・フリードがインタビューで言及しているデマンド批評の紋切り型。

『デマンドはメディアのなかからイメージを見つけ出し、それはしばしばある種の政治的な鋭さを持っている。次に、彼はそのイメージに含まれるものすべてから、厚紙でできた実物大の模型を制作し、それを撮影する。その写真を見た直後、私たちは写真に写っている物は本物かもしれないと思う。しかしよく見てみると、それは本物ではなく、厚紙の模型であることに気づく。』『そして、今日の私たちの現実感覚はメディアによって浸透されているとか、デマンドの写真はそのような状況を考えるように促す、などといった一文が付け加えられることもあるでしょう』

誰が言ったのかは付されていないが、新聞や娯楽雑誌の紹介文といったところか。私自身は写真の中の物が紙でつくられていることは知っていたので、『本物かもしれない』という疑いは持たなかった。一周一通り、作品を観たあとに作品の解説を手渡され、それが社会的事件に基づく写真のイメージを使ったものだと知った。一周目では紙という素材でつくられたモノの不自然さ、作者の意図、精緻さ、抽象化を見て、二周目は選択された事件との関連を見た。

紛れもなく偽物の写真、なぜ紙の模型をつくって写真にするという面倒な手段を踏まなければならないのか。模型だけでは美術館といった空間では再現しきれないという制限がある。また鑑賞者はその空間に自由に出入りすることができ、触れることができる。模型外の空間が嫌でも目に入ることでイメージは内側から流出し、障害物と混じり合ってしまう。まず元にする写真のイメージがあってそこからデマンドがそこにある要素を選びとり、紙によって新しいイメージを作り出し、写真にそれを閉じ込めることで鑑賞者はそこに提示されたものを読み取ることができる。そこにある空間の中に鑑賞者が入り込み、周りを見渡すことも、過去の思い出のある風景と照合させることはできない。デマンドの選択する空間が<宇宙シュミレーター>や<制御室>といった一般人には縁遠いものであるからではなく(<浴室>や<物置>といった身近な場所もある)その空間で何らかの事件が起きた、あるいは間接的に関与したことが示されているからである。また紙でつくられた模型だけでなく、撮影段階で操作を加えられているものもある。ラブ・パレードにおける事故の被害者を追悼するために多くのキャンドルが立てられた場所を元にした<追悼>では絞りは開放され、画面の手前と奥はぼやけて紙であるかどうか見分けるのはかなり困難である。アメリカの大統領執務室を元にした<大統領>でも机の手前にピントが合わせられていて大統領以外の人が座るであろう奥側はぼやけている。一方、<制御室>や<宇宙シュミレーター>のような広い空間は全体にピントがきている。

ロランバルトのいうプンクトゥムのような写真家の意図せぬモノは存在しておらず、そこに置かれたモノ、空間の大きさ、選ばれたイメージがデマンドに提示され、それを鑑賞者は見ることになる。元にされた社会的事件を扱った報道写真や資料写真、動画共有サイトに上げられた写真の情報を知っているか否かによって確かに見方は変わる。<物置>や<浴室>といった作品は周りに置かれた宇宙シュミレーターがある空間や大統領執務室のような場所の作品とともにそこが何かしら不気味な、政治性をもつ空間であることを示唆しているが、写真一枚だけを見ると当惑してしまう。<浴室>は殺人現場であるが、そこには汚れのないマットとカーテンがあり、浴槽内の濁った水だけが不自然さを醸している。

デマンドが確固たる意図をもってこのような手法を用いて作品を提示したことは理解できるが、その写真の意味はまだ鑑賞者に委ねられている。それは上述した紋切り型、メディア論に飛び火してしまうこともあるだろう。しかし、そう早急に結論は出せてしまえるものではない。事故現場や事後の空間は不気味かつ不自然であり、それは修繕や抹消によってすぐに自然な空間へ回帰してしまう。それを残せるのは写真や映像といった記録、人々の記憶である。それを見た感覚は続いていかなければならない。デマンドの作品を見たときの不気味さや不自然さ、当惑、達成されることの理解はこれからも続いていく。


東京都現代美術館|MUSEUM OF CONTEMPORARY ART TOKYO


Thomas Demand  Museum of Contemporary Art Tokyo

Thomas Demand Museum of Contemporary Art Tokyo