ロバート・アルトマン『ロング・グッドバイ』

何の衒いもなく『The Long Goodbye』を登場人物たちに唄わせておきながら、筋は原作から大きく逸れていく。チャンドラーの原作ではクールな男2人の友情がいささか感傷的に描かれていたのに対し、映画では脆くも崩れさる。マーロウを演じるのはエリオット・グールド。独り言をトム・ウェイツばりの低音ヴォイスで呟き、女には心配そうな目を向けて優しくする独り者、これ以上の適役はない。

まだハリウッドの中で映画をつくっていたアルトマンはハリウッドへの敵意をあからさまには見せず、始まりと終わりのある物語をつくっている。『M*A*S*H*』にあった痛烈な皮肉はラストシーンの音楽ぐらいで、『ナッシュビル』の明らかに寄りすぎなズームも、ラストの全員集合大団円もない。

しかし、やはり変だ。昼も夜も時間進行もさして関係なくいきなりカットが切り替わり、当惑する。アル中作家ロジャーと美しくも疑わしい妻アイリーンの海辺の家のパーティはマーロウの夢かと思ってしまった。夜の怪しい暗闇から突如として快晴の海、多くのパーティ参加者、わけがわからないといった顔で人々の隙間をぬって歩くマーロウに切り替わる。そしていつのまにかギャングのボス、マーティの目の前にマーロウが現れ、全裸になれと言われる。筋としては間違っていないが、ゴダールを思わせる破天荒なつなぎ。

マーティはすぐに激高して暴力をふるい、愛人の顔をコーラのビンで殴る。原作のマーロウならぶち切れるだろうが、アルトマンのマーロウはマーティの部下たち、観客たちとともに怯える。チャンドラーの名言もまったく出てこない。ロジャーの死、アイリーンの支離滅裂な証言を得て、すべての元凶は友人のテリー・レノックスにあったことがわかったマーロウはメキシコへ向かい、賄賂でテリーの偽装自殺の情報を得て、テリーの前へ現れる。この映画で誰よりも悪人顔をしていたテリーはあっさりと罪を認め、マーロウは拳銃でテリーを殺し、熱帯地方特有の大きな葉を茂らせる木々の下をハーモニカを鳴らしながら歩いていく。グルだったアイリーンが乗った車とすれ違い、終わり。

ハッピーエンドとは程遠いがバッドエンドでもない。それはマーロウが親友に裏切られ、その親友を殺してしまったのにも関わらずハーモニカを鳴らしているからか。だいたい世界なんて、映画なんてこんなもんだろとアルトマンがほくそ笑んでいるようで気味が悪い。

アルトマンが他の映画では与える耐え難いストレスフルな映像はないが、不気味だ。筋とはまったく関係のないエンディングテーマ『プレイ・フォー・ハリウッド』はアルトマンのハリウッドへの皮肉であり、映画の私物化だ。佐々木敦の「閉じられている」という指摘もわからんでもない。

アメリカンニューシネマとは違うが、『ロング・グッドバイ』という古い題材とマーロウの隣に住まうヒッピーの女たち、醜悪なブルジョワジーたち、ステレオタイプな警官と転換期ならではの「お別れ」が乱立している。

情に流されることなく醜悪な元・親友をあっさりと殺したエリオット・グールドの姿は忘れ難い。