2012→2013→2016 WATTISMUSICFOR

映画/音楽/文学/美術

メランコリックな宇宙 ドン・ハーツフェルト作品集

DVD『メランコリックな宇宙 ドン・ハーツフェルト作品集』


アメリカではアカデミー賞にノミネートされるほどの知名度と人気をもつドン・ハーツフェルトの作品集をイメージフォーラムで観てきた。日本初劇場公開らしい。

「オヤシラズ」手書きで極端にデフォルメされた人間二人。一人が引っ張る糸のリールを巻くような音は普段聴くそれよりもかなり現実的であり、おそらくそれはその糸が口のなかから出るものであることからきている。気持ち悪さと日常的な音の交わりは滑稽に見えてもやはり恐ろしい。

「人生の意味」では多くの人間がなにかを話しながら右から左へ、左から右へ行き交っている。時間が経つに連れ、彼らは老け衰え、死に、いつのまにか宇宙人へ。宇宙人からでる声はもちろん理解不能であるが、結局通り過ぎて消えていく人々の断片的な言葉も意味不明なものである。姿形もハーツフェルトの手にかかれば宇宙人も人間も大差ない。

「リジェクテッド」は時折入るナレーションというかハーツフェルトの当時の状況、「リジェクテッド」という設定が笑いを誘う。実際、よく笑った。

「ビリーの風船」はシュールだが笑えない。淡々とした風船という無機物がもし意志なるものをもったとき、それはあまりにも残酷。

「きっとすべて大丈夫」はそこから人間が戻ってきて病み、回復する過程。自伝。日常におけるちょっとしたこと、悪くないこと、ごくささやかなことをギリギリのところで押しつけず、斜に構えさせないとこで引き留めていて感情は自然に反応する。嫌な人はいるんだろうけど。

「休憩3D」よい息抜き。

「あなたは私の誇り」問題のナレーション。この作品集で白眉なのはフレーム外の音、つくりものとしての絵と現実音の交錯、その感触だったのにナレーションが入ることで物語が中心にどかっと居座ってしまい、退屈になる。物語は言って聴かせるだけではそこそこのものでは耐えられない。身振り手振り、仕草、音、声の変化が映画では物語に組み込まれていて、そこが強みなのに凡庸なナレーションはそれをぶちこわす。切断されるのは映像だけで物語はナレーションで続けられる。トリュフォーにも言えることだ。物語は求められているが、完全に飽和状態にあり、それを聴かせるには相当骨を折らなければならない。ナレーションは安易な手段でしかない。

GWには神戸で爆音上映が行なわれるらしい。作家の意図をどれだけ汲み取っての爆音なのか、若干気になるところではあるが、この作品は爆音で観たい。
眠気はナレーションだけでなく、時折入るチープな夢のような美しい色彩がもたらしたものかもしれない。