穴 / 愛、アムール / 凶悪 / 地獄でなぜ悪い
ガスパールは決して許されない。独善的で凡庸な、何の歓びもない裏切り。
ピエール瀧もリリー・フランキーも許されない。何をしたところで。誰にも。許しを請うことが許されない。また、誰も彼らを裁くことはできない。『凶悪』犯の足跡を追う記者は正義感に圧迫されて「死んで償え」というが、それは遺族が言っても意味を持たない。そんな権利を持つのは殺人者のみ。
安易でありきたりな物語。ワイドショーと週刊誌で騒がれるようなニュース、「凶悪」というより趣味が悪い殺人者たちのどうでもいい殺害過程。見るべきところも少なく、善と悪、罪と罰の退屈な二項対立を乱立させたいがための家庭の事情、母親の介護の挿入。『愛、アムール』を見れば済む。魅力のない登場人物たち、説明的な映像、会話。ラストは『パララックスビュー』のラストをそのままペースト。
ピエール瀧が車内で舎弟を撃ち殺すとき、一部分、なまっていた。記者にネタをもちかける際に真犯人と関係のないネタをしゃべったときのやっちゃった感をなまったときに出せばよかった。
エマニュエル・リヴァ、その夫は素晴らしかった。老老介護、なぜかさして重々しくないのはこの二人の存在のしかたによる。弟子のピアノコンサートを讃えあい、些細なことでは怒らず、どちらが優位かという立場関係もなく、対等に認めあう模範夫婦。
足が不自由になった妻を車椅子から椅子へ、椅子からベッドへ移すときの抱擁と歩みはダンスにも見える。
始めからずっとサイドテーブルのうえに置かれていた灰皿が使われるのは、自分の現状を認めたがない妻に鏡を見せた不躾傲慢気の回らないヘルパーが「くそじじい」と言うとき。我慢の限界が目に見えて訪れつつあるときには音楽も煙草も気休めにしかならない。
横やりはとてもイライラさせる。筋の通った忠告でさえ当事者には受け入れ難い。当事者にしかわからないことがあるという事実はたしかに存在する。フィッツジェラルドの『崩壊』で最後、励ましてくるスピノザ女はそれを知らない。
我慢の限界というものがある。限界だと呟いてしまうか、ビンタか。夫はビンタをとり、衝撃を受け、限界を知り、終わりが死しかないことを受け入れる。妻には選択する余地がない。
最善の選択。
ガスパールの選択は誤り。重罪人たちで培われた信頼、それを信じるのは難しいが、一度外の空気を吸ってさえも牢獄に戻るような厚い信頼を裏切る神経のほうが理解しがたい。罪の軽重でないならどうやってそれを知ればよいのか。ともに過ごした時間とそのなかのしぐさ、言葉遣いか。ともに脱獄すれば追われる身となり、ジョーのように脱獄せずに牢獄に居座ればより重い刑が課せられ、裏切れば自分だけ釈放される。
「哀れだな」という一言に尽きる。生きやすい、楽な道を選択し、恨みを買った男。友情を知らない男。単調で甲高くすべての音を飲み込む掘削音に耳を塞いだ男、恐怖に足がすくんだ男。
外の空気を吸い、タクシーを眺め、歓びを抑えながら友人とそれを共有しに戻ったマニュが殺しても誰も泣かない。裏切りはいつまでも繰り返される。