明日に向かって撃て! / さすらいの二人 / ニューヨーク、恋人たちの二日間

偽の軽さ と 疲れ切った男 と 魂。

写真で振り返る出来事の多いこと… 写真で始まり写真で終わる、写真に挟まれた回想の物語。三人でコニー・アイランドへ。ルーリードの『Coney Island Baby』… 

人を殺したことがない盗賊団のボスと泳げない早撃ちのガンマン。切羽詰まったときに行なわれる弱点の告白は笑いを誘うつもりなのだろう。俳優の二人が笑ってしまって、みんなが笑うのはアメリカのテレビ仕様。全体的に明るい偽の軽さが覆う。

自転車二人乗りで駆け回るところにバカラックの Raindrops Keep Falling On My Head 。恋人同士ではない2人の束の間の楽しみであったが…紋切り型のPV。

「保護者にむかって!」女の口の聞き方をたしなめるロバート・レッドフォードの醜さ。女も引いている。

これがアメリカンニューシネマと言われてはメカスはぶちキレる。

ぶちキレてスコップで車を殴りまくる疲れ切った男ジャック・ニコルソン。ロープウェイで機嫌がよくなって鳥の真似をする。

さすらいの二人(原題:Passenger)』でデビッドからロバートソンへ鞍替えして、追われ、疲れて、頼れる者を見つけ、使う。抜けのいい海の風景… 並木道の木漏れ日とそこを抜ける車… 若い女の瑞々しく輝く身体… おもしろい話し相手… しかし疲れ、二人でいても疲れ、一人を望むようになる。もうこれ以上逃げることができないという諦念、中年を迎え疲れきった身体、執拗な追手、かつての自分の死、知らない人間を演じる疲労… すべてが積もりに積もり、眠りと同じ死を迎える。

『ニューヨーク、恋人たちの二日間』でジュリー・デルピーコンセプチュアル・アートと称して「魂」を売り、混乱する。紙切れ一枚で魂と称し売り払うこと、それは馬鹿げた行為だが「魂は生きている」「魂をこめた」「魂は存在する」など多くの紋切り型が存在し、使用されていることでその「魂」は自分にとって大切なものなのではないか、という疑念が起きる。それが消滅するならまだしも売買し、他人の手に渡ることが気持ち悪いのだろう。ヴィンセント・ギャロが言うように魂自体はどうでもいいが魂の売買は興味深い。馬鹿馬鹿しいが、それ自体が紋切り型への挑戦でもある。

さすらいの二人』のジャック・ニコルソンは死人に魂を売り、死人の魂を買った。自分の身体は生きているが、社会的には死んでいる。疲労が蓄積していく。殺風景でシュールレリストが好む砂漠で砂に埋もれ、カーチェイスし、女は「きれい」だというが何もなく草が生えただけの大地で車を失い、暑い大気、舗装されてもいない道路をのろのろと歩く。目が見るようになった男の悲劇的寓話に女は怯える。男はもう生きられない、くたびれ果て、何も「きれい」だと思えず。

 

 

 

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