哀しみのトリスターナ / ウォールデン

失われた脚 と ホーム・ムービー。

ブニュエルカトリーヌ・ドヌーヴ。古典。トリスターナのピアノのペダルを踏む失われた右脚とミア・ワシコウスカの連弾によって震える脚(こればっかり)

病による変貌。化粧がいくらか濃くなり、背筋が伸び、口調がきつく、情に流されず自らの主張をはっきりと述べる。後見人+夫(悪夢の生首)であるロペは言いなりにならざるをえず、幸福のうちに(性的欲求には応じてもらえなかったが)死ぬ。

思索か死への陽動作戦の検討…廊下を松葉杖をつきながら行ったり来たり…

『トゥー・ラヴァーズ』でホアキン・フェニックスが涙したグウィネス・パルトローの乳見せとはまったく異なり、カトリーヌ・ドヌーヴの乳を見せるにはあまりにも露悪的だったのか顔のクロースアップのみで『ポーラX』では何気なく裸体になっていた。

貧乏人…聾唖者…老人と弱者の味方であることを公言して憚らないロペ親父にたいする複雑な感情を、こき使うことで解消し、死を目標とする。公園の汚いコーン売りからコーンを買ってパクパクと食べ、誰と接するにも態度を変えない。ごくわずかな差異を見つける姿勢が人々への恐れや憧憬となっていた病前とは違い、その姿勢は保持したまま自分のやりたいようにやっている。

それは悪夢ではない。

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私はホーム・ムービーを撮っている。ゆえに、私は生きているのである。私は生きている。ゆえに私はホーム・ムービーを撮るのである

その宣言から始まる、メカス自身と数人の友人のために制作されたアマチュア映画『ウォールデン』それは閉じているのではなく、公開された時点ですべての人に開かれている。ホーム・ムービーが世界に生を語る。

メカスは躊躇することなく故国リトアニアの自分の生まれた場所への愛を語り、それが失われた現実への失望を語る。そしてロマン主義を標榜し、それを表すモチーフを援用する。朝顔、子ども、雪、花、樹、風、歌、女…

アマチュアで通した植田正治。彼は自分のために撮っており、砂丘モードをつくった。

メカスはまわりにいる友人のために制作し、美しい映画詩をつくりだした。

PCのディスプレイでもテレビ画面でも映画館のスクリーンでも、どこでも耐えうる。

終わった夢のつづきか、これから見るであろう夢の断片か、ささやかな現実の隙間か。生の歴史を紡ぐ映像の連鎖。

実家で見るとなおおもしろい。

ウォールデン [DVD]

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