カスパー・ハウザーの謎 / 獅子座 / ぼくの彼女はどこ?

仕事を終えてうら寒いリビングでDVD、VHSをデッキに入れて映画を観る。当然眠くなるが眠らなかった映画、ロメールの『獅子座』ヌーヴェルヴァーグ黎明期、若きゴダールが友情出演してベートーベンの弦楽四重奏十五番の一節を何度もループさせる。ぶつ切りは今も変わらず。

『大人はわかってくれない』のような弾け、楽しむ散歩はなく、40過ぎの勘違い男ピエールが金と飯と出会いを求めて彷徨し自然に堕落していく。煌めく水面、炎昼の光に透かされる葉で白昼夢を見て、夜には自分の名である石を殴り、呪詛の言葉を吐いて、友人に助けを求めるがバカンスがその機会を奪い、文字通り浮浪者になって音楽を奏でる。棚ぼた。

冒頭のパーティーで楽しまずに世界への不満を呟く男はロメール自身か、浮かれ騒いでいたピエールもその男と意味は異なるが、同じような言葉を繰り出し始める。ゴミを漁る人々、盗みへの寛容と怒り、踊る若者たち、静かに流れるセーヌ。見ようによっては美しいものも不可視の夜の前では跡形もなく消え去り、自己とともに憎悪の対象へと変わり果てる。しかしそれが上昇運動にはならない。一念発起して働くなどといったことはせず、相変わらず友人頼みで運び屋になろうとするがそれも失敗してただ堕落していくだけ、ただふらつき歩いて眺めるだけ、考えるのは食い物と金のことだけ、立派な運動。金がなくても生きていけるが、歩き疲れ、野宿の疲労は思考を単純化していき、捨て鉢な行動に流れ行く、それを引き止める音楽。

ダグラス・サークの『ぼくの彼女はどこ?』も金の有無で変貌する一家をアメリカ的な早口言葉でテンポよく切りとる。予期せぬ大金が手に入って後先考えず、使いまくって借金して、他人=偶然に助けてもらう。母親のおぞましい歓びの咆哮は借金と同時にもたらされた娘の婚約破棄とともに二度目の失神へ、そこで非現実的な現実の再認と回帰がもたらされる。やっぱり分相応の暮らしが、やっぱりあの頃がよかったんだ・・・変わったのは娘の結婚相手だけなのにみんな幸せそうな笑みを浮かべている。「金があっても幸せとは限らない」愛の問題なのか?晴れて娘の旦那になった男は意図しない結婚を強いられそうになった娘を助けず、怒りに任せて外に逃げようとしていたのにいつのまにかラストシーンに現れてキスしている、そんな男の愛で?小太りおじいさんの自己満足物語。救いは次女の奔放。

『獅子座』のラストでもたらされた大金も同じ運命を辿るだろうか?堕落しきったピエールはそれをうまく使いこなすことができるだろうか?糞みたいな再認に堕すことは、有り得なくない。そんな再認に陥った一家とその取り巻きの洒落かギャグか、掛け合いか知らんが大して笑えない話し方には沈黙がない。彼らはひとときも黙りこむことがなく、噂に振り回され、ちらっと見たものを大げさに言いふらして他人を批難し、自分の立場も省みずに当然のように懇願する。

青年に達するまで沈黙のなかに居続けた『カスパー・ハウザー』は遅れて手に入れた言葉で思考し、外の世界を見つめ、詩を産みだす。その詩は詩と呼ばれず、「物語の始まりだけ」、不完全な物語として聴かれるが、それはカスパーが見たものであり、私たち観客はそれを見て聞くことができる。そうすることができない登場人物たちは宗教や理論や習慣をカスパーに押しつけようとして失敗し、落胆、失望、怒りを見せる。カスパーは1人になれる寝室以外は快適な場所がない、と言うがそれは善意でカスパーの居場所を確保してやり、教育を施してあげている他の人々には到底受け容れられない。私は間違ってこの世界に生まれてきたという言葉も・・・カスパーは他人を求めていたのだろうか?言葉を知るために?他人と一緒にいることより先に世界を眺めることを求めていたが、周りの人々は不要なものばかり与え、強制する。そうして殺されていく。「完璧な調書」カスパーに言葉を教え、社会の中で生きることを教え、殺したのは善意を押しつけた人々と社会である。金のために働かされ、見せ物として笑われ、珍種として重宝される。どこにいても二十年以上社会との接触をもたずに檻の中で暮らしてきた人間、として扱われせっかく与えられた「カスパー・ハウザー」という名はいつまでも意味を持つことがなく、庭の芽と同様に踏みにじられる。間違って二度生まれてきた男。

金が引き金となる。無いところに降って湧いた金、再びなくなった金、なかなか手に入らない金、手にすることを強いられた金・・・話は聴かれず、沈黙は嫌われ、馬鹿騒ぎの騒音だらけ、カスパーの夢、物語など理解されようもない。ブルーノ・Sの溢れんばかりの光を讃える目に映る美しい風景をすべての人々が見る、聴いて想像することができればよいのに。シュトロチェクはそんな社会のなかでもなんとか生活していこうとしていたが、そのやり方がまったくわからないカスパーは広大な野に足を踏み込むことなく消えた。
見ていないものを見るのは難しいし、見ていないものの語りを聴くのは退屈かもしれないしやはり骨が折れる。想像しなければならないからだ。ましてやカスパーのたどたどしい言葉使いではさらに困難を極める。しかしこの吃りと言葉使いは、私たちの社会が作った便利だが退屈で紋切り型ばかり産みだす使い古された言語にあてはめることができないだけで、本当は固有のイメージが含まれている。退屈な道具を押しつけられれば誰だって嫌気がさす。ブルーノ・Sのよたよたふらふら歩き、鳥が餌を食むのを見たときの笑い声、炎を触れたときの涙、話す時に演説者のように振られる左手。滑稽に見えるがそこには別の意味が含まれている。知りえない長い孤独な時間がもたらしたもの、拙い言葉で何とか伝えようとする仕草、常軌を逸した反応を見て、私たちはうまく反応できず、一笑に付すかもしれない。しかし、そのあとそのことについて考えることがあるはずだ。そんな世界。



カスパー・ハウザーの謎 [DVD]

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