2012→2013→2016 WATTISMUSICFOR

映画/音楽/文学/美術

クリーン / キングス & クイーン

オリヴィエ・アサイヤス。2004。

欲望の翼』『花様年華』の面影はかすか。

ヘロインを買ったのはどちらか。刑の軽重を決めるには重要な嘘。罪の重さを決めるにはたいしたことがないような嘘だが、周りはその時ではなく傾向として女に天秤を傾ける。

息子の「ママがパパを殺したんだ」という断定、批難は間違っているが、そう思いたい、思わせる部分は確実にある。

身よりもなく無一文になったところを助けてくれる友人。牢獄で女囚人といっしょに録った歌を聴いて涙を流す。唐突に登場するMazzy Starという単語。ホープサンドヴァルの声につづいて大きな特徴であるスライドギターにマギー・チャンの拙い歌をのせるのは酷。ホープサンドヴァルにはかなわない。

間奏曲はブライアン・イーノの《An Ending(Acent)》そこまでうまくはまっていたとは思えない。調性があって耳に馴染み、目立つ曲は街を歩くエミリー(マギー・チャン)に馴染まない。タイトルがタイトルだけに最後では使えなかったんだろうけど、雰囲気使い。

本作の中心は、誰にも理解され得ないであろう大衆のなかのマイノリティである女のひととき、子どもをほったらかして夫の両親に預けたまま夫とライブハウスをまわり、モーテルでドラッグに耽る、という男も女も関係なく理解を示され得ないであろう女であり、その女がパートナーの死で、まっとうで理解されうるような、まともで退屈な人生に足を踏み入れるというお話で、変わったところというものは特にない。脚本は必然的に退屈な紋切り型というか日常会話になりがちで、実際に行われているような会話が全編を覆う。

自己中心的で、恋愛至上主義なのかなんなのか、恋い慕う秘書の女にしか目がいかないちょい役のジャンヌ・バリバール、それより前にエミリーと会ってファンなんですと言いつつ色目を使う美人秘書は、親切な友人との対比として現れるが、エミリーに対してはさしたる影響は与えず、エミリーがかつてジャンヌ・バリバールと恋仲だったという説明だけ。女の新しい友情? ジャンヌ・バリバールの恐ろしい流し目。

トリッキーとかいうグローブのマークパンサーみたいな奴が出てきたり、中華料理屋でいつのまにか働いていたり、服屋の面接に行ったり、ロードムービーのようにエピソードが連なり、そのなかでメインは平行して進んでいる息子と義父義母の話で、この義父アルブレヒトの存在感たるや。

息子の死からすぐに病に倒れた妻とエミリーの板挟みになり、死んでいく妻、残される子ども、ヤク中から更正中のエミリーと話をする。息子をこれまでほったらかしにしといて、夫が死んでから一人になったから会いたい、いっしょにいたいとは都合がよすぎるけれども、妻が死んでしまって一人ではこの子の面倒はみきれない、腐っても母親だから…という葛藤でエミリーと子を会わせ、絶対に帰すという約束のもと預けるが、エミリーは勝手にシスコに連れていこうとする。想像力不足。それを優しくたしなめ、認めるアルブレヒト。歌った後、涙を流すエミリー。

まわりの人間がエミリーに惹かれるというのはわからなくもないが、なぜ惹かれるのかはまったくわからない。人の恋人は理解不可能か…

 

アルノー・デプレシャン。2004。《rois et reine》マチュー・アマルリックは今作もイカれた男、不安げにキョロキョロと動く大きなつり目、優しそうな笑顔、饒舌。全編を詩が覆う。イエイツ、アポリネール… 中心はノラ(エマニュエル・ドゥボス)と二番目の夫イスマエル(マチュー・アマルリック)。ノラは新しいブルジョワ男と新しい生活を送ろうとするが、《厳しい》父の病状の悪化によりそれどころではなくなり、存在の不安を抱え、大声で喚き、よく泣く。

第一部は《ノラ》と設定されていたが、イスマエルが唐突に登場し、狭い部屋で音楽をかけ煙草を吸っているところに第三者(姉)からの通知により精神病院から二人の男が派遣され、連行される。後に黒幕がわかるが、このときは何がなんだかわかっておらず暴れ、精神科医のカトリーヌ・ドヌーヴに当たり散らす。だんだんと状況がつかめてきて、突然トレーナーを着たかと思うと、音楽療法のサークルではヒップホップに合わせて見事なブレイクダンスを披露し、看護師のハートを掴み、さらには《中国人》というレッテルを貼られたリストカット女と仲良く煙草を吸い、ハイになって音楽を聴き、楽しむ、が手は出さない。とてもおもしろい。

ノラは冒頭からいたって安定しているように見せかけるが、父の死が間近になったとたんに取り乱し、煙草を吸うまでは落ち着くことなく当たり散らす。どう考えても一番目との夫とのあいだにできた息子を精神病院にいるイスマエルに養子にしてもらうなんて、どうかしてると思われるし、イスマエルも当惑するのだが、ノラはそれが最善だと疑わない。混乱の最中の決断はいかに。

二部《解放された苦しみ》では第二の夫イスマエルの退院と父から解放されるノラ。

ノラは三日三晩、病床の父に付き添い、看護師にモルヒネを打ちすぎるのはよくない、祈ることだ、奇跡を信じて、といわれて安楽死を決断する。遅れてやってきたヤンキーの妹にちょっとだけ責められるが、すぐに理解してもらう。しかし、亡くなった父が残したエッセイの中に挟まれた手紙が衝撃的。愛と憎しみ、最初から愛しはしなかったが、かわいく、寄ってくるから愛するようになるが、やがて娘は虚栄心やら自信やらにまみれ、うわっつらだけで、エゴイストになって、憎むようになった… 今は怒りでいっぱい… お前より先に死ぬのは納得がいかない、お前が死ねばよかった… 

始めから仲良くはなかったが、ここまでとは。身体じゅう管だらけの父がノラの手首をものすごい力で掴んで離さなかったのは、こういうことか… 息子を父に預けて自分はパリで新しい男を見つけ、ギャラリーなんかで充実した生活を送っている、父の苦しみも、息子の孤独も知らずに… エマが死ぬまで父は許さない。あの残された手紙は本心なのだろう、喪失の偽りの悲しみからは一発で冷める。その文章は遺稿を引き取りにきた編集者には手渡されず、地下のワインセラーで灰になる。

『クリスマス・ストーリー』でも今作でも登場人物に寄り添うような姿勢はデプレシャンにはなく、第三者から俯瞰され、できれば他人に見せたくないようなものを表出させる。言い争い、泣き喚き、甘い感傷に浸ろうとしてそれが無惨に打ち砕かれるところ。ワインセラーから上がってきて心配する第三の夫とStyle Council《Changing Of The Guard》にのせて踊るシーン、それは本物なのだろうかと疑いたくもなるが、幸せには違いない。すばらしい。キング&クイーン。

二人は死んで、二人残った。アメリカだったら、あるいは日本でも離婚した元夫に相談をもちかけるなんてありえないだろう。理解のあるのか、ただヒステリーを怖がって従っているのか第三の夫はイスマエル探しまで手伝う。その信頼は損なわれない。ほとんど登場しないが。

イスマエルは常に《ハイ》な弁護士に助けを請い、盗んだ薬をお駄賃代わりに《狂人》のレッテルをもらい、退院する。てっきり姉の仕業だと思っていたが、入院を提案したのは同じ楽団員で第一ヴァイオリンのライバル?、10年以上の付き合いがあるクリスティアンだとわかり、スタジオに向かい、積年の恨みつらみをあからさまに言われて退散。話の途中で殴り合いにならないところがよい。イスマエルは狂人ではない。

実家に帰り、お父さんのキオスクに行くと三人のチンピラがやってきて「ビールねえのかよ」と嘲笑し、そのついでに銃を突きつけ、金を出せと言ってくる。お父さんは笑いながら近づき、後ろ手にもった棒でめった打ちし、発砲されても動じず取引をして勝つ。イスマエルは「店をたたもう!」と叫ぶ、とてもおもしろい。その後、家で養子問題、遺産の取り分が少なくなるからと20年の付き合いである従兄弟を養子にすることを認めない姉たち、物わかりのいいイスマエルは父と母の意見を尊重する。そして《エピローグ》、ノラの息子と博物館で対話。友人のようにやっていける、養子にはしない、諭すように、内気であることを認め、否定せず、上からではなく、隣にいる者として語る。母と再会。

喜劇と悲劇、たしかにイスマエルのほうは見ていておもしろいし、笑えるコメディっぽさがあるが、まったく作り物の顔はなく、反応と内面があるだけ。たるみきった微笑みで胸元の谷間を見せながら夜の病院の廊下で誘惑してくる看護婦をやり過ごし、外の階段で入院したての《中国女》アリエルと話し、楽しく過ごす、予想外の動きというかプロットにとらわれない自由がある。ノラはそのアリエルから一目見られただけで《きれいな人ね、でも馬鹿そう》と嫉妬まじりに言われるが、本当にそう見える。落ち着いたギャラリストの微笑みは剥がれ、叫びやら疲れきった顔やらが立ち現れる。揺れるカメラはあっても極端なズームはなく、最後まで一定の距離が保たれる。ノラと第一の夫ピエールとの悲しいやり取りは回想だからか、夢の中のような極端に黒い背景のなか、演劇のようなやりとりを見せ、悪夢のような結末を得る。一回目に病院の廊下でうとうとしていたノラの前に現れる死んだピエールからは想像がつかなかった死。必然的な過去のフラッシュバックはちゃんと現在に繋がる。そこで二人のキングが失われる。

 

ジム・オルークはこれまで映画音楽を担当してきた映画監督のうちでも珍しく、アサイヤスとは音楽の話ができたと言っていた。その他は自由にやらせてもらったとのこと。テーマなんか言われた日にはそんなものを無視して音楽をつけたとのこと。そのアサイヤスは『クリーン』ではインディロックを取り上げ、最後のレコーディングシーンでは遠くにリヴァーヴのかかったギターを配置し、歌を前景に押し出した。救済としての歌?

一方、デプレシャンはイスマエルの楽団の練習でシェーンベルク音楽療法のダンスでヒップホップ、結婚パーティーでスタイル・カウンシルと多様な音楽を必然的、自然に使い、ヘンリー・マンシーニの《Moon River》がバックで控えめに通奏低音として流れている。

Moon river, wider than a mile
I'm crossing you in style some day 
Old dream maker, you heart breaker
Wherever you're going 
I'm going your way 

Two drifters, off to see the world
There's such a lot of world to see 
We're after the same rainbow's end 
Waiting round the bend 
My huckleberry friend
Moon river and me   

 

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