キェシロフスキ『終わりなし』『愛に関する短いフィルム』/ フェルナンド・ペソア『不安の書』

政治がらみの暗殺か、心臓発作で夫アンテクを亡くした息子一人持ちの寡婦。息子は『永遠の僕たち』のヘンリー・ホッパーみたいにぼんやりと何かを見つめている。それは父か。

こういうところを狙ってくるのが宗教の勧誘、韓国映画の『シークレット・サンシャイン』だったか、そういう見るのも苦しいような展開ではなく、体毛が濃い、英語しか話せない小男と夫と手が似ているからという理由で寝てしまう、夫のことを完璧に忘却するために催眠療法をやってもらう、人助けのようなことをする。その人助けを一度は断ろうと思ったが、やる気になったのはなぜか。催眠療法で初めて再会した夫と交わされた指によるサイン、1-3-2は何を意味するのか。バンパーについた油は何だったのか。夫の資料を漁る際に出てきた自分の黒歴史、ヌードモデル時代の写真を夫が隠れて保持していて顔だけ切り取ってあるのはなぜか。若い身体に今の顔? 妻の身体に別の女の顔? 顔があるとリアリティがありすぎる? 

夫アンテクは幽霊として現れ、犬やおそらく子どもも気づいているが、妻はその一回しか会えず、そのまま進んでいたら事故を起こしていた車を故障を装って止めさせたり、後任の弁護士に疑問符をつけて警告したり、新聞を持ち去ったり、と現実に影響を与えることができる、幽霊というより透明人間のような扱い。

その後、夫と過去に関係があったと思われる《マルタ》という女が現れ、情事寸前までを意味深に語る。寡婦に語ることではない。寡婦は英語しか話せない小男との情事のあと、夫を愛していなかった、自分は冷めている、どうかしていた、と語る。それは不安や悩みといったもので、実際は夫のことをすごく想っており、夫の名前を呼びながら自慰をしたりする。催眠術師には自分の夫への記憶を戻してくれと言う。それは叶わず、息子を義母に預け、吸引自殺。

悲劇だが、映像は謎が謎のまま残されるからか悲劇の調子ではなく、重々しくもない。一番影が濃いのはストの首謀者と見られる男の弁護を死んだアンテクから定年前最後の仕事として引き継いだラブラドル。死んだアンテクから疑問符をつけられるラブラドルは、登場したときには窓際で光を浴びていたのに、見習いやら被告人と話していくうちにどんどんと暗くなっていく。アンテクは引き継ぎ前のあの軽い感じが気に入らなかったんだろう、こうでもならなければこの結果は得られなかったとでも言うような。

残された息子の悲劇性を取り除くのは、義母の家に到着した際、後部座席に座った息子から母に向かってバックミラー越しに唐突に言われる「お母さんのことも好きだけど、実を言うと、お父さんのお母さんのほうが好きなんだ。もっと連れてきてよね」という《キリンさんが好きです、でもゾウさんのほうがもーっと好きです》そのままの言葉。ああ、それならお母さんいなくても大丈夫だよね、と思ってもおかしくない。

自殺した妻と死んだアンテクは窓越しの野原をあちら側へ微妙な距離をもって歩いていく。死者の力が残された映画。

  

『愛に関する短いフィルム』はうだつの上がらない文学青年がある女に恋するブレッソンの『白夜』 と似た中途半端な変態の話であり、男の妄想が生み出した都合のいい物語だが、終盤になって話は変わっていく。

郵便局の為替係の青年トメクは、尻軽女、ビッチを自他ともに認める女マグダを向いのマンションから盗んだ望遠鏡で覗いている。トメクは一年間それを続けている。またマグダに会うために、偽の為替の通知を送って窓口までこさせといて、微笑をもって「ありません」と言う。さらに牛乳が毎日こないわ、とマグダが漏らし、牛乳屋が「人手が足りん」と言い訳するのを聞いて配達バイトまで始める。

生涯、一人の女性と実らない恋に落ちただけで、他には恋愛と呼べるような関係を取り結ばなかったフェルナンド・ペソアの『不安の書』として編纂された散文のなかに《ほとんどラブレターに近い三通の手紙》というものがあり、そのうちの一通に書かれたものはトメクと似たような状況を描き出している。

何ヶ月になるのかはっきりしないほど前からあなたが、わたしに見つめられている、たえず、いつでも同じ定まらない食い入るような視線に見つめられているのをご覧になっています。あなたがそれに気づかれているのを承知しております。さらに、気づかれているので、その視線が正確に言うと臆病というのではないが、ある意味を表していないのをきっと奇妙に思われたにちがいありません。その視線がいつも注意深く、漠然とし、変わらず、まるでそれが悲しいというだけで満足しているようで……ほかには何も……そしてそうお考えになりながら――わたしのことをどんなお気持ちで考えていらっしゃるにせよ――あるかもしれないわたしの意図を詮索されたにちがいありません。わたしが特別な独創的な臆病者か、何か狂人に類したものの一種かどちらかだとご自分に、納得されないにせよ、説明されたにちがいありません。

ペソアはそこに一般的な恋愛感情のようなものはなく、ただの視線があるだけだということを強調しており、もちろんトメクのように望遠鏡で覗くような真似はしていない。カフェかどこかで会う女性を見つめているのだろうか。

一方、《愛》をもってマグダの生活を覗いていたトメクは二度目の偽の通知のときにうろたえるマグダを見て、すべてネタばらしして、自らの視線に気づかせる。マグダは一度は拒絶するものの、気にかかって、トメクとのアイスクリームデートを承諾し、部屋まで入れ、太ももに触らせ、イカせる。トメクの愛は決して肉体関係を取り結ぶためのものではなく、《純粋》なものでなければならなかったため、覗きはしつつも自慰は自制していた。ペソアは《覗き》ではなく、想像、夢想していただけだったが、その相手の女性が既婚であったことを知って悲しむ。

あなたについて想像しようとしたことを懐かしく思いながら、わたしはある日、あなたが結婚しているのに気づいたのです! それに気づいた日は、わたしの人生にとって悲劇でした。あなたの夫を嫉妬したわけではありません。ひょっとしてそう感じていたのではないかと考えたこともありません。あなたのことを考えたのがただただ懐かしかったのです。このばかげたこと――絵のなかの女性――そう、その女性が結婚しているのをいずれ知らされることになっていたとしても、わたしの苦悩は同じだったでしょう。

《悲劇》だと言っている時点でそこに恋愛感情、愛に似たようなものの存在が明示されるが、嫉妬はしていないらしい。

マグダはそんなトメクを射精に導いたあと、「これが世間で言う愛ってものよ」と突きつける。トメクはマグダが別の男と性交する場面を覗いて、そこに複雑な感情を抱いてはいたが、愛は変わらず、自分は性交する男たちとは別の次元にいると思っていたのだろう。

あなたを手に入れる? わたしはそれがどうすることなのか分かりません。そしてたとえわたしにそれを知っているという人間的な汚れがあったとしても、あなたの夫と肩を並べようと考えるだけで、わたしは自分で考えてみてもどれほど破廉恥漢になり、自分の偉大さをどれほど侮辱する要因になったでしょう!

あなたを手に入れる? いつかたまたま、あなたが独りで暗い街路を歩いているときに、暴漢があなたを威圧し、征服し、はては妊娠させ、あなたの子宮にその男の痕跡を残すことがあるかもしれません。もしあなたを手に入れるのがあなたの身体を手に入れることなら、それに何の価値があるでしょう?

男はあなたの心を手に入れるでしょうか?……心はどのように手に入れるのでしょう? それに、あなたのその「心」を手に入れられる器用で優しい人がありうるでしょうか?(……)そのあなたの夫がそうだといいのですが……あなたはわたしが彼のレベルまで下りるのを望むでしょうか?

ペソアは《身体の所有》と《心の所有》を持ち出し、自分はそのどちらにも興味はないし、よくわからないが、自分はそんなものとは無関係の場所にいることを暗示する。

自分がその《身体の所有》の次元まで堕ちてしまったことにショックを受けたトメクは浴室で手首を切って自殺を試みて、病院送りになる。マグダはそんなトメクが気になってしかたがなく、トメクが、ほとんど母親代わりの友人の母とともに病院から帰ってくるところを覗き、トメクと友人の母の住む向かいの家を訪ね、自分が覗かれていた望遠鏡で自分の部屋を眺める。

トメクは屋上に駆け上がり、《恋の病》による熱を冷まそうとするかのように、凍てついた氷板を両頬に当て、涙のメカニズムを知るために、広げた手を机に置きアイスピックを指の隙間に打ちつづけ、血を流し、すべてを否定されてカミソリの刃を手首に突きつけた。マグダはトメクの部屋から自分の部屋を覗き、かつての、ミルクを机の上にこぼし、嘆き悲しむ自分の姿を発見し、それもまたトメクに見つめられていたことを知る。他者に見つめられることで存在する自己。もしその自己のうちに何か悲劇的なもの、身体的な痛み、精神的な痛手があったら、その眼差しは救いとなるのかもしれない。トメクの一連の自傷行為はその痛みを知り、見つめることによって癒そうという考えから行われたのかもしれない。マグダはその眼差しに愛があったことを知ってか、恍惚の表情を浮かべる。肯定の眼差し。

トメクが病院に行ってから物語の中心はマグダへ移り、男の妄想だけでは終わらなかったところが本作の独創であり、美点であろう。

ペソアは見つめる相手の気持ちを知ることがない。知りたいとも思っていなかった、のかもしれないが、もし、相手がペソアの言葉を聞いたら、どう感じるのだろうか。

いったい何時間わたしはあなたとの秘密の付きあいを頭に思い描いて過ごしたことでしょう! わたしの夢のなかで、わたしはあれほど愛し合ったのです! しかしそこでも、誓って言います、一度も自分があなたを手に入れている夢を見たことがありません。夢のなかですら、わたしは繊細で純粋なのです。美しい女性についての夢さえ尊重するのです。

                 フェルナンド・ペソア『不安の書』p564-566

 

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