グランド・ブタペスト・ホテル と メルシエとカミエ

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ジョゼフ・コーネル《ピンクの宮殿》

どこに目をやっても楽しめる細部への拘泥、安定したショット、選び抜かれた無駄のない脚本、くだらないものの排除、愛すべき映画の引用、素晴らしいキャスト… ブニュエルだったら吐き気を催すであろう左右対称の多用、中心構図からの横移動、縦移動で安定する画面、テンポよく切り替わるカット… 多くの画面的特性、唯一の作家性をもつウェス・アンダーソンの最新作には筋があってしかもサスペンスだった。

 

今作は画面だけでなく、物語も安定している。成長潭《天才マックスの少年》から父と子と死を巡る《ライフ・アクアティック》、家庭群像劇《ロイヤル・テネンバウムズ》、三兄弟のロードムービーダージリン急行》、人形劇《ファンタスティックMr.Fox》、恋人の逃避行《ムーンライズ・キングダム》にも始まりと終わりがあり、《ライフ・アクアティック》、《ロイヤル・テネンバウムズ》では丁寧に章立てもされているが、今作にはより明確な物語の筋がある。話し手ムスタファが劇中、所々で登場し、ムスタファによる話の順序変更も明示される(アガサについて)。ある人物が語っていることが目の前に描かれている。

 

作家が説明を挟みながら進めていく物語あるいは説明なしで進む物語では作家から観客へ直接関係が結ばれる。《ムーンライズ・キングダム》における緑の帽子と赤いコートを着たボブ・バラバンはナレーターとして登場し、物語の要素を説明するだけで物語自体は語らない。登場人物のナレーターは作家と共同で観客と結ばれる。そして今作の物語内物語では実際には作家が物語を語っているのだが、構造としては作家は一歩退いて、話し手の話を聴きながら物語を進めていくことになる。観客はムスタファの聞き手であるジュード・ロウといっしょに物語を聞いていくのであって、そこに参加することが望まれている。もしそこに筋がなければ、わけのわからないボケた老人の話としてペルシャ猫のように窓から放られ、席を立たれてしまうだろう。

 

だから《グランド・ブタペスト・ホテル》では以前の作品よりもショットがわかりやすく繋がり、話が脱線することも少ない。つまり話し手であるムスタファとその恩人であるグスタヴが中心にいて、その二人が映るとものすごいスピードで話が進んでいく。これまでの群像劇にはもちろん主人公と言えるような二人あるいは三人あるいは多数が存在していたが、ここまで話の中心となる二人はおらず、そのせいもあってまわりの人間の描写を削らざるを得ない。それはサスペンスという形式をとってしまった以上、仕方がない。ムスタファはアガサのことを思い出すのが辛くて話を後回しにしてしまい、さらに涙まで流すのだが、その過程はほとんど観客の想像力に任せられている。

そのサスペンスにおいて重要な謎、といっても失踪した執事のマチュー・アマルリックと彼がタブローの裏に忍ばせた第二の遺書ぐらいで、大猿ウィリアム・デフォーの残虐描写が入るからそうなったという感がある。アガサが天井の物音を気にして天窓を開いて閉じ、章が変わり、エイドリアン・ブロディのもとに生首の入った洗濯カゴが持ち込まれる。洗濯カゴといった時点でアガサではないとわかるのだが、繋がりと、ムスタファのアガサの話に対する逡巡のせいもあって嫌な予感を持ってしまう。このどちらかわからないドキドキ宙づり状態がサスペンスお得意といったらそうなのかもしれないが、謎をじらして秘密を隠して、といったようなめんどくさいごまかしはなく、これまでのウェス・アンダーソン作品よろしく、行き当たりばったりで次々と出来事が起きる。これまでと違うところはそこに逡巡、ためらい、躊躇、迷いといった《人間味》あふれる中断や脱線がないところで、今作ではハイスピードで描写がなされ、常に誰かが動いている。終盤になってようやく物語が落ち着き、現実に戻る。

 

「率直にいって彼(グスタヴ)が来たときには彼の世界ははるか昔に消失していたーーーーでも彼は感嘆すべき優美さとともにその幻影を維持してみせたのさ」

 

という誰もが印象に留めるムスタファの言葉、そしてグスタヴがもっとも勇敢な姿勢を見せる電車内のシーンでゼロへ言う《最後の人間味》ーー《くそったれ》。その変遷はベケットの《メルシエとカミエ》におけるワットが想起させる。

ワットはベケットゲシュタポからの逃亡期に書かれた小説《ワット》の主人公で、旅の終盤でメルシエとカミエの前に現れ《ゆりかごの時代からの》二人を知っている、と言ってバーでウイスキーを飲むことになる。そこで隔行対話がなされ、結局ワットは独り言を言っているような形になる。

「わしもね、捜したんだよ…ひとりぼっちでね、ただ、わしは、それがなんだかわかっているつもりだった。なんてこった」「うれしいね、ほんとにうれしいよ、おかげでね。あんたがたがわしを元気づけてくれる、ほとんどそう言ってもいい」

しかし、メルシエとカミエはうわの空で話を聞いていて、ワットの言葉に対応しない言葉で話す。

ワット「あんたがたがいつか、今わしが感じていることが感じられたらな。それは、むだに生きてしまったということに変わりないが、しかし、なんと言ったらいいかーーー?」

 

「古びた心にとって、わずかなあたたかみだ、そう、古びたあわれな心にとって、ほんのわずかなあたたかみなのだ」

 

このあとカミエがメルシエに応対し、無視された格好になったワットは強くテーブルを叩く。そして《激情を挑発する声で》「くたばっちまえ、人生なんぞ!」と叫ぶ。胸にチューリップをさした主人あるいは支配人がやってきて出て行くように言うが、メルシエとカミエが人情に訴える嘘を言ってなんとか居座り、ワットは一時眠っていたが、目を覚ますと杖で隣のテーブルを叩き、杖を投げ捨て瓶やらコップやらを壊しまくり、再び「人生なんて糞くらえ!」と叫ぶ。

 

オンボロヘリコプターで墜落死したオーウェン・ウィルソン、ヤク中のオーウェン・ウィルソンに轢かれた犬、子どもの弓矢に刺された犬、窓から放り投げられたペルシャ猫、脱獄中に勇敢に闘って死んだ一人の囚人… 死を描きはするものの凄惨、悲惨にまでは踏み込まないウェス・アンダーソンはワットまではいかない。再び同じ場所で電車が止まり、グスタヴが最後に対峙したのはファシスト、《最後の人間味》がなくなってしまった相手であり、そいつらにむかって「ぶっ殺してやる」と言うのがやっとのグスタヴはいつ殺されてもおかしくないような人間だった。アガサは殺されるにはあまりにもかわいそうで、やはり殺されない。

 

ムスタファはグランド・ブタペスト・ホテルが時代遅れの産物になっても売り払わず、オフシーズンに滞留する。グスタヴという人間あるいは最後の行為に繋がっているグランド・ブタペスト・ホテルは孤独なムスタファにとって《わずかなあたたかみ》を想起させる場所なのだろう。

ジュード・ロウは安定した小説家として話を聞いて小説にし、そして現在、冷たさとあたたかみを併せ持つ墓地においてその小説を胸に抱えている少女がいる。ワットが失敗する、《わずかなあたたかみ》を誰かに伝えるという行為が果たされるとしたら、それは無意味に思える人生においても素晴らしいことだろうが、それはほとんど奇跡に近い。

 

初恋/メルシエとカミエ

初恋/メルシエとカミエ