2012→2013→2016 WATTISMUSICFOR

映画/音楽/文学/美術

わたしはロランス

ほこりは光を当てれば美しい。ほこりは美しい。

《時の塵》は降り積もり、吹かれ、消えてはまた積もる。

メロドラマはよかったとき、幸せの絶頂から修羅場、別れ、再会、中間へとむかう。

 

観客がいまどんな状態にあろうと見ることができる。幸せの絶頂を苦悶の顔をして見つめ、別れを共感をもって眺め、中間はいまを照らす。あるいは幸せの絶頂を共感をもって眺め、それ以降を軽蔑し、のちに後悔する。

 

他愛のない、何よりも楽しいお遊び、冒頭、ロランスがベッドで眠るフレッドに衣服を落とす。別離後の新居でフレッドが子どもに同じく。便利な忘却はなされず、とても幸せとは言えないが、その選択はすでになされた。その格差に悩みはするが、日々は過ぎる。

そこにロランスが戻ってきて、衣服は舞い上がるが。

 

フレッドはすぐに怒るようになる。カフェで他人の私事に土足で入り込むウェイターおばさんに凄まじい速度で怒ったときから鬱憤はたまっていくばかり。長年の別離の間に蓄めこまれた思考の塵、いまだにまとめられていない答えのない問いに不躾に触れられればすぐに血管が浮き出る。身勝手な「愛」に苛立ちを隠さない。

 

ロランスはフレッドに「望んでいた朝の幻影を追っている」と言う。しかし、フレッドがロランスに出会ったとき、ロランスは紛れもなく男としてフレッドを誘い、必殺のウインクをした。女になったロランスはかつて男だったロランスの幻影を引きずっており、フレッドはそれを忘れられない。

 

奇妙なのはロランスが女に生まれたのに男のような話し方をすること。20数年の習慣のせいか。使用される方言が相手によって変わるように話し方は相手によって変わる。しかし、最後の再会のとき、ロランスは完全に女の話し方になっている。

 

衣装、編集は素晴らしいが音楽が… インタビューで音楽は登場人物、時代に寄り添うように選んだと語っていたが、要はその当時流行った大衆音楽を並べただけ。《マイノリティー》を自認する二人が Depeche Mode やThe Cure を聞くか… エンディングの The Blue Nile もそのライン。その時代を表す音楽をテレビ(ナタリー・バイに投げ捨てられる)でも見聴きすることができるような大衆的な作品に求めるのは安易であり、浮いている。

唯一、良かったのは浴室のカーテンを覗くシーン、遠くで流れていたピアノ。

 

161分はあっとういまに過ぎる。降り積もる雪のむこう側にいるナタリー・バイとロランス、ロランスの爪を挟むクリップ、フレッドの額に浮かぶ血管、化粧するロランスを下から見つめるフレッド、一枚だけピンク、必殺ウインク、舞う枯れ葉、衣服。そして、ほこり。