2012→2013→2016 WATTISMUSICFOR

映画/音楽/文学/美術

パラダイス:愛 / パラダイス:神

人のいいデブだっている。デブへの風当たりは夏の満員電車において激しさを増すが、悪気があって太っているわけではないし、身体のことをとやかく言うのは礼を失している。しかしながらほとんどの人が礼を失して人の身体について言葉を並べる。胸がでかい、脚が綺麗、肌が白い、デブ、ブス、ハゲ、短足、低身長、大根足うんぬん。礼などどうでもいい。差別が始まるか? こういうことが声を大にして言うことができる限り、差別はなくならない。しかし抑圧することもできない。面と向かって悪口を言われれば人は傷つく。そこに憎しみが混じると悪口が正当化される。悪口は人を傷つけるかぎり、正当化できない。悪口を生みつづける宗教はいまも変わらず恐ろしい。  

デブだってブスだっておばさんだって恋をしたい、というか、セックスしたい。

白人ツーリストからセックスで金をとって家族を養いたい。

お互いの欲望が満たされれば資本主義は成立する。金と売り物があれば成立する。ウルリッヒ・ザイドル『パラダイス:愛』のおばさんのぜい肉は金に培われ、セックスをしても消えない。脂肪吸引は投資になろうが、欲望に忠実すぎるせいでそこまで頭がまわらない。 

欲望に忠実でありすぎたおばさんの丸々ぶよぶよの身体がケニアのリゾートを背景にした構図にぴったりと収まる。しかし、おばさんも日々のダウン症児の子守りと遺伝子をそっくり受け継いだ可愛く憎らしい娘の世話で抑圧されており、リゾートの恰好の標的である開放感を望むツーリストとなる。これはバカンスではなく観光旅行であり、京都は河原町通りを遅々とした歩みで進むおばさん方であり、動きがわかりやすい。おばさんが最も鬼気迫るのがセフレの裏切りを知った晩、翌日に海でセフレに掴みかかる時でセフレは「ママ」に楯突くことなく謝罪し、終わる。優しさも何もないお別れ。哀れなおばさんはまだ次があると信じて別の男に愛を求めるがやはり金を求められ終わる。プレゼントされたその次の男は勃起もしてくれず、その次のウブなバーテンボーイは肉に埋もれたヴァギナを舐めるのを嫌がる。泣きたくもなる。

資本主義に忠実に欲望を満たすには金がいる。当然のこと。かっちりとした構図の中に収まっていては逃げられない。

それにしても金切り声に似た笑い声は容姿よりも醜悪極まりない。欲望は自分を見せることがない。欲望が達せられなかったとき、人は我が身を振り返るが遅すぎるとまた同じ欲望に襲われる。

ロジャーニコルズスモールサイクルフレンズの名曲 Don't take your time のように焦っていいのは思春期の少年少女ぐらいで、迷える女の子を部屋に連れ込もうとする男たちのように息荒く部屋へ向うおばさんはもう勘弁してほしい。

 


Roger Nichols & The Small Circle of Friends - Don ...

 

『パラダイス:神』の狂信的なカトリック教徒おばさんは偶像崇拝を欠かさず、磔にされたイエスを前に我が身を鞭打つ。周りに押しつけず、自分の中だけに留めておくならその信仰は穏当だろうが、表明し、同一化を求め始めた時点で醜悪さを露にしはじめる。『アギーレ』で原住民を一瞬にして殺す神父。布教は難しい。同一化か相対化か。同一化を求めれば排他的にならざるをえず、排除された者たちはそこでまた群れをなし、対立し、絶対的なるものが求められる。絶対的なるイエスを持つおばさんの元に帰ってきたイスラム教徒の夫は生活上の同一化を求められ、当然、ケンカになり、受け入れられず同じことを何度も言わなければならない生活に耐えられずアー!アー!アー!と叫ぶ。言葉が通じないなら叫ぶまで。

 

おばさんの敵は山ほどいる。酒をあおる者、セックスに興じる者、信仰を持たない者…セックスを求める夫への張り手の凄まじいこと。罪の倫理が信仰によって歪められ、脚が不自由な夫の生命線である車椅子を没収する鬼畜ぶりを見せ、目を見開いて横たわる夫の背中に懺悔する。許しを請うという行為は自分の犯した罪を認め、悔い改めることであるがほとんどの場合が、何も変わらない。

エヴァの告白』におけるホアキン・フェニックスのように許しを請わず行動で示すこと。それがダンディズムにつながり、途端にダサく、滑稽になってしまうような行動ならしないほうがいい。

娘が『希望』なのは彼女は失恋しても処女を喪失(未遂)してもやり直しがきくから。『愛』のファットママも『神』のヒステリックマリアももはやうまく思考できない。ごりごりに固まった線を突き進むのみ。マリアはイエスに唾を吐きかけたが、また仲直りして十字架セックスに興じるだろう。ママは次は身近なセフレを見つけ出すかもしれない。愛は求めても手に入らない。愛はデュラスによれば《意志からは決して》やってこない。愛そうと思っても思い込みはすぐに破れ、愛されたいと思っても何も起きない。

 

コンプリート・ロジャー・ニコルズ&ザ・スモール・サークル・オブ・フレンズ