女っ気なし / パラダイス:希望

女っ気なし』ではタイトルがタイトルだけに女っ気なしの優男に女がやってくる話で、実直で物知らずで優しくろくでなしのいくらでも形容詞がつけられそうな男が中心にいる。浜辺でちょこちょこ飛び跳ねながらこちらへ向ってくる男は「かわいい」のかもしれない。メッシに似ている。メッシはあの童顔をもってしてバロンドールを受賞する、かなりイケてるやつだが、こちらの優男はゴールを外してキュートに片目をつむりながら諦める。が、我慢のならないこともあってそこでは勇気を見せる。

 

もう一人のハゲ男に惹かれるお母さんはたしかに見る目がない。女に慣れているやつがイケてるなんて前近代的な。

 

心優しい娘よ。

 

「泣いている女の子はハグで慰めてやるべき」はいいとして「慰めが効いたらキスしてもよい」わけではない。ハグとキスには厳然とした線引きがある。メッシがゴールを決めたらセスクやイニエスタが駆け寄ってきてハグするだろうが、キスはしない。

 

広角と寄りの使い分けが気持ちよいバカンスムービー。バカンスムービー(緑の光線オルエットの方へ/三人のアンヌ…)は大抵が大した出来事も起こらないが、バカンスは基本的に退屈であり、退屈だからこそ普段はできない思考に立ち向かうことになるという側面をもつ。身の振り方、恋愛にしろ仕事にしろ人生にしろ、続くか終わるかはバカンスで決まる。何も変わらないバカンスはバカンスではなく、週末の休みでしかない。バスツアーや郊外ショッピングは何も変えない。溜まりたまった欲望を発散させて終わり。『スプリング・ブレイカーズ』はその発散と変化のどちらも望み、逃げ先から逃げたら終わりだという現実を見せる。一方、京都シネマで『はじまりは5つ星ホテルから』という聞いた瞬間に『食べて祈って恋をして』と同じF豚映画だとわかる予告編を見せられる気持ち。5ツ星ホテルに行くメッシ似のハゲなら見てもいいが、5ツ星ホテルを転々とするセレブおばさんの人間的苦悩は確実に凡庸なものだろう。予告編は案外役に立つ。

 

スプリング・ブレイカーズ』と対極をなしていそうな『パラダイス:希望』はデブ女子ラニーが母親のバカンス中に矯正施設に入れられる話で、メラニーは痩せたドイツ的細面几帳面そうな医者を片思う。思春期の性のめざめがこの脂肪に包まれた肉体の奥深くにも生じて、デブ仲間の中でもイケてそうな女の子に相談し、足繁く診察室へ通い、仄かに思いを寄せていく。ヘルツォークが言っていた「地獄」はこの作品内にはあまり存在しない。デブたちは禁欲を強制されながらもテクノを流して享楽的に踊り、甘味を貪り、恋に落ちる。地獄を感じるのは矯正施設で働く医者のほうで、森の奥深くでメラニーを抱きしめ、酔いつぶれたメラニーの匂いをまた森の奥深くで嗅ぎ回り、自己不信、気持ち悪さ、メラニーへの罪悪感、が襲ってくる。デブであるだけで矯正施設に入れられるメラニーたちもかわいそうだが、退屈な仕事や許されない恋や年齢や罪の意識と闘う医者も相当にかわいそうに見える。

若者の希望か