キム・ギドク『嘆きのピエタ』
未だに引きずられる資本主義。
鶏、鰻、兎。動物たちが登場し、殺される。金を中心に、そこに愛を絡め、恐怖、憎悪、不安、歓びといった感情を挿入する。
鰻がのろのろと階段を下りていくさまは足を引きずる男へ。逃げた兎が車に轢かれ、鶏と鰻がナイフで裂かれるさまは殺される者たちへ。
追いやられ完結した小世界=地方の悲喜こもごもは中上健次か。
軽やかに時空を超えて行き来する『夏への扉』のダン・デイヴィスは当然理性を使って「復讐という行為が、大人気ないものだという結論」を下しており、『嘆きのピエタ』の母もそれくらいはわかっている。しかし、他に何をすればよいのかわからない。
処置の現場を見せられ、人肉を食わされ、犯されても、憎しみは消えず、すべてを予定通り完遂する。むごすぎる仕打ちを受けてから、思考は研ぎすまされた。思考せざるをえず、行動せざるをえない母。
うまく思考できない人間たちが集うなかで、憎悪だけが行動を促す。あまりにも感情的。
金は思考を鈍化する。数々の感情が絡み、抜けられなくなる。金をうむ機械に使われ、潰される人間たち。
悲しみと憎しみしかない世界で悲しみと憎しみに突き動かされた最後の行動がまた悲しみと憎しみを生むとは。
わかりやすすぎる。
逃げたいと願う者はどこへ。