クレール・ドゥニ『ネネットとボニ』

『パリ、18区、夜。』の次、またも傑作、なぜかDVD化されておらずVHSでしかない。1996年、2人のはなればなれになった兄妹が再会し、生活する。思春期、盛りのついた兄ボニと拗ねた目で世界を睥睨し煙草をふかす妹ネネットは感情的だが、決して単純化されてはいない。

気恥ずかしさからか、テリトリーの危機を感じたのか、ボニはネネットにつれなく接し、移動ピザ屋で働き、パン屋のイタリアママに「コックを入れたい」と思いながら自慰に耽る。夢か妄想か、二人は橋の上で交わり、やがてドアの開閉かなにかで左右に移動する金色の斜光に移行して穏やかな幸福を讃えた目覚めのボニの顔へ、その夢を覆ったゴポゴポという人間の喘ぎ声と絶え間なき衣擦れを思わせる持続する低音がコーヒーメーカーに収束するシーン連鎖は笑えるが、連鎖するだけで美を反映する。

イタリア女の夫役はギャロ(『ガーゴイル』主演)で妻の「クロワッサンがないわ」にフランス語で管を巻くところは英語でしゃべっているかのようで、面白い。二人は水兵ごっこやロマンチックなケーキづくりをするのだが、『ショコラ』の揶揄のようにも見える。それはその後のイタリア女とボニの出会いからカフェにおける会話シーンで明らかになる、イタリア女のどうしようもなく醜悪な笑い声とうんざりさせてくれる恋バナに起因するものだ。ロマンチックな二人の姿態は観客として同化すればまだマシだが、見知らぬ他者に言葉として語られるとボニのように幻滅してしまうだろう。カフェの逢瀬のあとボニは一人、移動車のなかでパイこね疑似セックスを行ない、涙に暮れて寝込み、馬乗りになったネネットにバナナを食べさせてもらう。その一連の流れではボニがイタリア女に幻滅したのか、あるいは無言でいるしかなかった自分が情けなかっただけなのか、判別できないが、イタリア女のひとりよがりの甲高い笑い声はかなりきつい表現だったように思われるし、その後のネネットの優しさと艶かしい馬乗りなった脚はイタリア女と対照的なものを見せている。

ネネットは妊娠し、情緒不安定だが優しくなった兄に支えられて子どもを産むが里親に託すという選択をする。しかし白ウサギを丁重に扱う心優しいボニにそんなことが認められるはずがなく、ボニは背の高い赤い花を買って病院へ行き、花で隠していたおもちゃの銃によって赤ん坊を強奪し、ベッドで優しく抱く。無音のなか、鮮やかな速度で繰り広げられる愛の強盗。


クレール・ドゥニの夜は楽しく湿り、光に溢れ、リズムを生む。パリを俯瞰し、ゆっくりと美しい横移動して港、街、ボニが働くピザ屋へ。左隅の目立たないところでボニとその友人は音楽にのって身体を横に揺すって踊っている。細部にまで徹底して注入された、生を軽くして浮遊させる美はより多くの人々に愛されるはずだ。DVDソフト化を切に希望。