ヴィム・ヴェンダース『ことの次第』

「ハメット」でコッポラと共作しようとして途中で外れたヴェンダースがそれと平行して撮った作品。SF作品を時代遅れとなった白黒で撮ろうとする監督が主人公の映画内映画作品でその当時から現在にも通じる産業映画(ハリウッド映画)批判が全編にわたって繰り広げられる。

監督のフリッツはプロデューサーが逃げてしまったうえにフィルムも切れてしまった、どうしようもない状況を俳優・スタッフに説明する。酔っぱらって飄々と「物語は物語のなかにしかない」「人生に物語は必要ない」ヴェンダースの饒舌。登場人物が自律することは少なく(初期の語らない人物たちは例外)監督の意図がいたるところに垣間見えてうんざりすることがある。アンチが意外に多いのもそのせいだと思われる。本作では女優のアンナは他の人物たちの言葉をメモにとり、「捜索者」を監督から借りるヴェンダースにとって都合のよい人物として立ち回る。スタッフの1人は洗濯物を干しながら自分の幼少からのコンプレックスという物語をもう1人のスタッフと女の子に語る。鍵となる陰謀の犠牲者たる脚本家は不眠症になり、彷徨し、ベッドの上で震える・・・

しかし、それは重要ではない。ここでは物語が批判されているのであり、登場人物たちはその物語のなかで十全に生きることができず、神経症的に内面を語り、きれぎれの行動を見せざるを得ない。問題は別にある。廃墟の無人ホテル、森の中に現れる廃墟、撮影監督の妻の死、映画が撮れないというだけで世界の終わりかのように振る舞う脚本家。中心にいたのは監督のフリッツではなく、その廃墟の鍵を持っていた脚本家だった。彼は全体を覆う陰謀の犠牲者であった。

後半ではフリッツが逃げたプロデューサーを追ってロサンゼルスへ向い、方々を探しまわるが、誰もが知らないの一点張りで逆に不気味な車に追われたり、命の危険を知らされたりする。眠気が高まり出したころに逃走中のプロデューサーの愛犬を見つけ、逃走用のキャンピングカーに乗り込み、再会し、言い分を聴き、朝になって映画について、物語について語る。「物語は死だ」という言葉通り、プロデューサーは車を降りてフリッツと抱擁を交わした瞬間、銃で殺され、フリッツは見えない敵に向かってカメラを向けるが、同様にして殺され、終わり。

陰謀と闘う映画監督の物語ではなく、映画と金の問題なのだ。金が尽きたせいでフィルムが賄えず、映画を終わらせることができない、それは映画の背負わされた宿命である。映画の時間を確保するにはそれに見合った資金が必要なのであり、ゴダールやコッポラのように自分で方法を編み出すか、プロデューサー、出資者に言われたことを遵守しながら商業映画を撮るか、映画監督の卵のように低予算内でなんとかするしかない。芸術としての映画の成立は著しく困難なことであり、自由からはほど遠い。これは映画に限った問題ではなく、本作のSF映画の時間はそのまま人々の時間に当てはまる。金がなくては自分のつくりたいものはつくれず、その時間も場所も得ることができない。芸術家がそんなことを言えば、そのなかでうまくやれ、と言われるのがオチであり、そのなかで「うまくいってる」かどうか確かめることが生きることになる。人は働いて金を得て場所を確保するが時間が足りず、「時間を見つける」ことを強いられる。働かせすぎだ、時間を奪いすぎだ、と訴えても何も変わらない。プロデューサーのように逃げ回ってもいつか殺される。フリッツは自分が否定した物語に飲み込まれ、殺された。現実逃避としてのハリウッドの幻想物語に浸っていても状況は変わらない。幻想を信じた脚本家は神経症にかかり、自殺寸前にまで追い込まれた。深刻にすぎるだろうか。真剣に思考するアンナを横目にSF映画の主演の男は情事のあとにせせら笑い、酒をあおり、ナルシスティックにカメラを据える。こいつも死んでいる。フリッツと脚本家だけでなく他の登場人物たちもこの映画と金、陰謀に絡めとられている。勿論、観客も。


ことの次第 [DVD]

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