ジョゼフ・ロージー『エヴァの匂い』

アダムとエヴァの楽園追放。かつてアメリカを追放されたロージーのなかで最も知られた一作。

マッチョな男と自由な女。ドゥルーズ「シネマ」より『しばしば、環境に先んじて、環境に反抗して、そして男たちの起源的世界の外部において現れ、在るときはその環境の犠牲者に、また或るときはその環境の利用者になるだろう。『脱出の線を引き、創造的、芸術的な自由を、もしくはたんに実践的な自由を勝ち取るのは、まさに彼女たちである。彼女たちには、恥辱もなければ罪責もなく、自分自身に跳ね返るような静的暴力もない』

これはロージーの映画に出てくる女たちを指しており、もちろんエヴァも含まれている。エヴァは常に男の先を行くが、男に執拗に追われて仄暗く狭い街をぐるぐると回り続けることになる。その果てで大好きだったレコードを床に叩き付けるあのいらだちに至り、消えそうで消えない(消えてくれたほうがマシな)炎である。

本作では「鏡」「仮面」「階段」といった頻繁に使用される隠喩が至るところに出てくる。それらは既に使い古されている(その当時はどうかわからないが)ためあえて言及する必要はないだろうが、その見せ方はあからさまではあるけれども「面白い」。神話をフレームとして使うならばこのような気配りも必要であったのだろう。エヴァとティヴィアンのくだらない秘密の暴き合いや追いかけっこでこの3つのモチーフはぴったり嵌る。しつこく飯をすすめるティヴィアンを無視して階段を昇るエヴァ、2人が再会するレストランでの黒人の仮面を使った怪しいダンス、自分の美しさを映す鏡への執拗な目線。ティヴィアンもエヴァも互いに嘘をつきあい、やがて気を許してしまったティヴィアンが真実を告げ、一時の慰みを得るがもちろんエヴァは何の才能もなく嘘だけで成り上がった男に手酷い仕打ちを与える。ティヴィアンはその仕打ちにより元恋人のフランチェスカと結婚するが、やはりエヴァが忘れられず、フランチェスカの留守中にエヴァを呼び、泥酔し、またエヴァによってフランチェスカとの仲は終わる。

エヴァはティヴィアンだけでなく他の男を利用する娼婦のような存在であるが、媚びずに自由に立ち振る舞う。もし自分に不都合なことを男が起こせば立ち去り、その懸念がなくなれば戻る、しかし男無しでは生きていけない。エヴァは「実践的な自由」は得ても脱出することもできず音楽でさえ嫌悪を催すものとなってしまう。ティヴィアンは嘘つきで女たらしで女に騙されるどうしようもない男であり、エヴァが言うように「哀れ」な存在で終わる。ティヴィアンはエヴァに悪用されるときは決まって泥酔している。愛の盲目か、ただの馬鹿か、エヴァを信用して泥酔し、ホテルの一室で真実を伝えて醜悪な態度をさらし、二度目は結婚後、フランチェスカが帰ってくることはわかっているのにエヴァのいる家の床で泥酔して眠りこける。酒を飲まねば素直になれない、そんな紋切り型で退屈でどうしようもない哀れな男はロージーのオリジナルではなく、エヴァこそがオリジナルの存在である。

あの寂れたヴェニスにはそんな退屈な男たちしかいないのか。最初から愛や新しい男など求めておらず、男はただ利用するための都合のよいモノでしかないのか。フランチェスカが帰宅し、床で眠りこけるティヴィアンを見て嫌な予感を漂わせながら階段を昇り、寝室にいるエヴァを見つけて力なく寄りかかる壁にはマザッチョの「アダムとエヴァの楽園追放」がかけられている(この見せ方はこれ以上ない)追放された純粋に見えるフランチェスカは死に、あくどい2人はなおも生き残る。愛なき場所には楽園もなく、追放されることもなく偽りの自由のなか生きてゆける。ティヴィアンはたしかにもう死んでいるが、エヴァはまだ生きている。



エヴァの匂い [DVD]

エヴァの匂い [DVD]