ジェームズ・ベニング『Small Road』

アメリカの実験映画、2011年制作。イメージフォーラムフェスティバル、横浜美術館の最後のプログラム。他にもたくさん見たいものがあったが・・・これだけで。

ワンシーンワンショットでアメリカの小道?画面を横断する山脈、四季折々の木々、荒野、工業地帯を走る片側一車線の道路を固定カメラでうつす。どれくらい編集されているかわからないが、ワンシーンの長さがまちまちなことから編集されていることは確かである。ごくごく小さなものに目を向け、耳を傾けざるを得ない。車が手前か奥から走り抜ける/停車中の車に誰かが乗り込む/一人の人が画面を横切って家に入る/変な鳥の鳴声がする/車が画面外を通り抜ける/雨がふり、雪が降る、除雪車が雪をかく/風が草を揺らす/日が陰る、日が照り出す/無音・・・自然がドラマとなる。自然主義といってもよいだろう。

序盤の曇りがちな空と草っぱら、その奥に見える木々のシーン。徐々に手前から日が射し始め、木々を照らすと美しい花が見えた。遠景は近景より光の影響を受ける。

遠くから聴こえてくる車と道路の摩擦音は飛行機やヘリコプターの飛行中の音と風が草を揺らす音と川のせせらぎの音と似ている。飛行機、ヘリコプター、川は一度も出てこないが、自然と音からイメージとして浮かんできた。

曇りと晴れのシーンが多い。風が吹き荒れていたり、雷が鳴っていたりするほうがやはり見ていて面白い(ドラマ性があるから)。雨が降らないなーと思っているとラスト近くで紅葉した葉が落ちた道のシーンでようやく出てきた。その後、みぞれ、雪、春で終わり。四季折々のアメリカの道。

ワンシーンだけ無音があった気がする。近くに映写機があったせいでそのジーーという音はずっと聴こえていたが、確かにワンシーンは無音だった。右側に雪のように白い砂が縞模様をつくっている何もない道で風も吹かず、小鳥も鳴かず、車も通らず無音だった。この映画で音を生むのは鳥、車、工業機械、風、雨、雪ぐらいで、天気が晴れで風がなく動物もいなければ無音に近い状況は生まれる。しかし47カットの中でそれは一つだけであった。意図的な編集がなされているのだろうか?

どのような基準でアメリカ各地の道が選択されたのか。構図はすべてしっかりしているが、それは簡単なことだ。道自体面白いものもあるし、ボーリング作業をする機械、熱帯にいる鳥のような鳴声がする森、美しい黄色の葉をつける木々、霧が立ちこめる場所とそれぞれ何かしら見るところがある。「スモールロード」何かしら見聞きするものが一つはある、道。

退屈そうに足を投げ出す子ども(子どもにこの映画はキツい)、早く終われと念じつつ頭を背もたれに横に乗せる人、序盤で出て行った人、落ち着かない人、それぞれだった。決して面白くはない。未だに実験映画は知覚を扱っている。知覚はいつまでも変わり続ける。