ユスターシュ『ママと娼婦』

41歳という若さで夭折した最後のヌーヴェルヴァーグゴダールが発見したらしい天才ユスターシュの傑作「ママと娼婦」白黒のアレブレのある映像だが、VHSでも十分に観られる。

ジャン=ピエール・レオ主演(アレクサンドル)と囲う女マリー、あばずれでナンパにのった女ヴェロニカの三人を中心にカフェ、マリーの家、ヴェロニカの家、セーヌ川の会話を映す。

アレクサンドルは貧乏で平凡な青年、口だけは達者だが女二人の剣幕の前では黙り込む。マリーは余裕をもった態度で二人の恋を見つめるが、嫉妬ですぐに怒り出す。寡黙かと思われたヴェロニカは実はすぐにセックスを求めるあばずれで、酒癖が悪く、酔っぱらっては二人を罵り、喧嘩する。

前半はアレクサンドルの饒舌に乗っかって軽やかに進んで行くようが、後半ヴェロニカが生活に入り込んでくるにつれ重々しくなる。お洒落なモード的スタイルは断定的な口調で声高に語られるが、酒や嫉妬による暴走によってすぐに狂気さえかいま見せる(マリーの自殺未遂、ヴェロニカの平然とした態度)アレクサンドルのファッションーー丸いサングラス、柄物のスカーフ、ジャケットーーやサルトルへの諧謔、あけすけな趣味嗜好の語りは独特で面白く、レオのしぐさや話し方にしっくりきているのだが、女の前で脆くも崩れさる。時折、アレクサンドルはヴェロニカに長調舌をふるう。それは元恋人との別れや午前5:25のカフェに集う人々の話で、悲痛な調子へと変わっていく。別れをカフェで語るところではアレクサンドルの声は震え始め、涙が浮かび、サングラスをかけるが光がそれを暴露する。言葉と顔は合致して観客はいなくなる(カサヴェテスの映画でも同じことが起きる)一方、ヴェロニカの語りは酔いや感情に任せた独白の調子で、それを聴く二人とともに沈黙するほかない。ヴェロニカは「酔っていない」「酔っている」と使い分けるが、もはや意味はなく言葉は残ったままだ。独白という形式はうんざりさせるようなものを保持しているが、抗いようもなく引き込むこともできる。それは単純かつ個人的な差異によるものなのだろうか。

アレクサンドルの「殺人者はいたるところにいる」とヴェロニカの「娼婦なんていない」という言説は同じ回路を使っている。マリーが言うように二人は同じであり、結ばれ、マリーが1人残される。

まともな人物など登場しない。アレクサンドルの友人たちは自殺し、中絶し、人を殺して追われ、気ままな旅に出る。マリーとヴェロニカとアレクサンドルは同じ部屋で情欲と感情の抗争を繰り広げ、語り合い、喧嘩別れする。三人で結ばれる瞬間はほんの一瞬であり、持続しない。それが美しいかどうかは大したことではない、喧嘩してもまた平然と三人で話し合う姿がある。アレクサンドルは「妊娠」という言葉でヴェロニカに同情して留まったのだろうか?ヴェロニカのつわりか酔いによる嘔吐か、その姿を見るなと言われても見つめるアレクサンドルの愛がどのような性質のものなのか、知る由はない。幾度となく繰り返される接吻とセックス、喧嘩、唾吐、拒絶の避け、笑い・・・


ママと娼婦 [DVD]

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