川内倫子「照度 あめつち 影を見る」

東京都写真美術館川内倫子展を観てきた。ガーリーフォトという単純すぎるネーミングをもつ女の子写真とは一線を画す、川内倫子

今回の展覧会は「Illuminance」「Iridescence」「ある箱の中」「あめつち」という組写真、インスタレーションと「影を見る」という映像作品で構成されている。「イルミナンス」では6×6の大きく引き伸ばされた写真が並べられ、光るものが写真の中心にある。ぼやけた色彩と薄黄色あるいは白の光がモノの前面にあり、光自体を見ているようだった。

チラシには『様々な瞬間の光景を切り取り、つなぎあわせ、普遍的な生命の輝きへと昇華させる川内の表現は、純度の高い視覚性を持っています。光と闇、生と死、過去と現在が交錯するイメージの流れには、特定の時間や場所の束縛から解き放たれた純粋な感覚が満ちあふれています』と書かれている。

被写体ではなく視覚性、色彩、純粋イメージ。ボケやトビが多用されているが、そんな写真はどこでも見たきた現代の目はそれを汚いとも未熟だとも思わず、その先を見つめる。色彩も居心地のよい美しさからは遠く隔たっており、撮影者の動きや光の強さを主張する。ただの綺麗で、イイ写真はない。被写体自体はありふれたものであり、人工的な光も写されている。コーネルか、「ある箱の中」のコンタクトシート群を見ればわかるが、演出が施されている。それは純粋イメージを写真へおさめる過程においては不可欠なことなのだろう。映像作品がつづく部屋で流されているが、光があたっているものばかりである。

関係はないがコッポラの『テトロ』のギャロの言葉が浮かんでくる。過去の秘密を知って混乱し、交差点のど真ん中で呆然と立ちつくす弟にギャロは『光を見るな』と言って抱き寄せる。

光は明るい、希望の、というようにプラスのイメージを喚起するが強い光は害にもなる。思考を停止させ、光のほうへ導いていってしまう。もちろん川内倫子の写真に影はあり、光るものばかりだと思われがちだが、それは見るものが光を中心に記憶するからである。光は純粋さをも連想させるが、すべてを白にかえる危険も持ち合わせている。

「イリディッセンス」(玉虫色という意味らしい)は35ミリフィルムの写真がインスタレーション形式で展示されている。あるイメージをもとにした並びいうより似た形のものを並列させているようであった。ティルマンス展示とは意味合いが違う。あくまで「気持ち」「感情」に寄り添ったものであり、純粋なイメージはここでは追求されていないようだ。ダイヤや如雨露の水がかかった花などに強い光が当てられたものなどが並んでいたが、多様な色彩と強い光がありただ綺麗なだけだった。


「あめつち」では「阿蘇の野焼き」と「エルサレム嘆きの壁に向かって祈る人々」、「プラネタリウムの空にレーザーポインターで描き出された光の軌跡」の写真が暗い部屋に並べてある。まさか野焼きの赤々と燃える火が嘆きの壁にいる人々の薄汚れた埃っぽい画面に繋がり、その祈りがプラネタリウムの空に赤い線となってふわふわと浮かぶ…… なんてことではないのだろう。特にこのプラネタリウムの写真はこの組のなかで浮いているように感じたが、人間と自然と、人工物で明度もそれぞれ異なるため当然だろう。

野焼きの火は禍々しいものではないが、厳然として火であり何かを燃やし尽くそうとしている。画面内の道を遮り、赤い光を放って次の獲物を狙っている。焼かれた黒い地が半分と白っぽい草が覆う半分の山。火が為すこと。


Illuminance

Illuminance

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