ミシェル・ウェルベック「素粒子」

10年程前にフランスを賑わせたらしい本書。異母兄弟の二人を軸に文明批判。あからさまな性描写だけでも話題になりそうな本ではある。個人的にはペシミスティックな語りに同調することはなく、半ば笑いとして受けとった。

フランス現代思想がドゥルーズフーコーの死によって影響力を失い、その後に続くものは少なく、大衆は思想的命題を捨て高度資本主義にどっぷり浸かっている。男と女という区別を批判し、二人のうちの一人、ノーベル賞候補の天才科学者という設定のミシェルに遺伝子工学によって生まれた新形而上学を語らせる。

よって終盤はSF。SFは軽さを伴うが、実在の人物を挙げて現代を中心に据えていただけに終盤の軽さは空気中の塵なみである。

ところどころでドゥルーズを馬鹿にするような箇所が出てくるように、この世界ではフランス現代思想はすでに無用のものとされている。高度資本主義がもたらした幸福は擬似的でありぬるま湯のようだが、文学被れで憂鬱病の兄ブリュノはニューエイジを小馬鹿にしつつも週末に行なわれる乱交パーティへ赴き、幸福、満足を得る。しかしパートナーの死によってそれも終わり、絶望的な状況に陥り、終わり。

ミシェルも幼なじみでありパートナーであった女を子宮がんによって失うが、研究に没頭して消える。

どちらもハッピーエンドからは程遠いが、ミシェルはSFへの橋渡し的存在だから置いておいて、ブリュノの悲哀はまったく悲哀として届かなかった。明らかに誰が見てもブリュノは不幸な男であるが、いくら忌み嫌う資本主義の枠の中で欲望のはけ口としてのセックスに精をだし幸福だと笑うブリュノは絶えず不幸だった。「性的幻想は原則として常に皮相的なものであり」、快楽には幸も不幸も含まれており、変化はない。それに気づいていてもブリュノはやめない、中毒患者の絶望的回転。

しかしながら、ウェルベックはブリュノの幸と不幸を共感をもって書き、読者にも共感を求める。文明批判をしても抜け出せないのは誰もが抱える問題であるから共感してもいい気がする。ウェルベックの文明批判は的確であるが、大衆に近しい存在であるブリュノは結局批判しておらず、そのなかで愉しみ、哀しむ男で終わる。毎日ジムに通いヨガやピラティスにかまける女や女を買うかひっかけるかすることしか頭にない男と同じ人物のままフェードアウトしていくだけだ。共感などできやしない。

口では批判しても実行に移すことはできない。ミシェルのつくった概念をプラグマティズムに移行するハブゼジャックのようには、ウェルベックはなれなかった。ブリュノは反面教師でしかなく、あとはウェルベックとは関係のないところで自らの思想を実践にうつすしかない。

共感できないからといってペシミスティックに冷笑することもない。それではウェルベックと同じことをやることになる。何の変化ももたらさないシニシズム。変革をうながすことはなく、醜い現状に醜いとわかっていながらにして甘んじる。甘い汁を吸う。

アンディ・ウォーホルのようだ。あとがきで読んだが、ウェルベックは既に富裕層の仲間入りをしているようだ。文学界の新しい記号として消費されていくことだろう。そこに人間味を与えた感傷的な物語をつくるやつが現れて、またそれが売れて、というサイクルが生まれる。ウェルベックはもうここから抜け出すことに興味をもっていないのだろう、まだ仲間入りしていなかったこの「素粒子」においてもその感は希薄で逆に媚を売っているとさえ感じられた。残念ながら。

ブリュノはブルジョワではないが、ソフォア・コッポラの「SOMEWHERE」ではブルジョワジーの倦怠がセンチメンタルに描かれている。ウェルベックが歪んだ好意でなぞるボードレールのような美しい描写を挿入するように嫌悪感を催させない綺麗な光、色、ぼやけが見られる。「SOMEWHERE」の主人公、ハリウッド俳優の男は最後に逃げるが、一時的な逃避行になることは目に見えている。要するに、結局のところ、金。金さえあれば仕事を放って一時的にせよ逃げることができる。しかし、何度も同じことを繰り返しているうちに知らず知らずの摩擦によって生が消費されていることに気づくだろう。金による逃亡など誰もがやっている。どこにも行き着くことがない点では似通った二つの作品である。「SOMEWHERE」は現代に批判を投げかけず、俳優のセンチメントに寄り添うだけであり、俳優の男と同じような気分を味あわせてくれる。どこにもいけやしない、どんなに楽しそうに見えることでもやってるこちらとしては退屈なだけだ・・・・現実逃避にはもってこいだが、映画を観てそんなことをしてる暇はない。

素粒子」の的確な現代文明批判を、先に進めなければならない。ウェルベックがお手上げしてしまった高度資本主義のぬるま湯の幸福が心地よくならないうちに。


素粒子 (ちくま文庫)

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