ジャン=リュック・ゴダール 「万事快調」

1972年、ジガ・ヴェルトフ集団名義。フランスからイヴ・モンタン(ジャック)、アメリカからジェーン・フォンダ(スーザン)を主演にするが、それは政治的選択であり、冒頭で面白おかしく説明される。恋愛映画を揶揄する二人の歩きとオフヴォイス。

五月革命後の工場、ストが過激化し社長を監禁した社員たちの言い分と社長の言い分、労働組合長の言い分、それを眺めるジャックとスーザンの言い分を長々と映し出す。社長って馬鹿なのね、というスーザンの言葉どおり社長の語りは滑稽なだけである。あとはそれぞれ理に適ったことを言っているようだが、同じ工場労働者たちのなかでも分裂が起きるなど「連帯」を声高に叫んでいるわりにその様子はあまり見えない。異なる層で異なる問題が「労働」という概念のなかで混在しており、抜本的解決は見込めない。労働者たちの言い分を聞いていると「ありきたりの映画」の「お前は働くことしかできないんだ」という言葉が甦ってくる。よりよい労働環境を求めて移動することはできないのか、その場から逃げてその人生から逃げることはできないのか。就職先に内定をもらえない就活生の顔が浮かんできた。

労働者は奴隷であることが河原のデモによって一列となって連行されていく若者たちに見える。だから「解放」という仰々しい表現がなされる。労働環境の改善は奴隷であることを変えはせず、奴隷の状態がすこしマシになるだけだ。それを受け入れることが「大人になる」ことなんだ、と紋切り型がキーキーと喚き出すが、言葉遊びでしかない。「やりたいようにやればいいじゃないか」と若者に言ってもその「やりたいこと」が労働である悲惨な現代は1970年から続いている。


映画は「経済的な」事情で撮れず、CFの仕事が中心のジャックと監禁事件の記事をボツにされたスーザンのイライラが家庭に持ち込まれ、政治の領域が拡大する。映画、食事、セックス、問題のセックス。スーザンはジャックのことをイメージするとき働いている姿をイメージし、ジャックは監禁された二日間のことをイメージしてしまう。そして写真。女の手がペニスを握っている。そのイメージから逃れられない。スーザンはジャックに質問を投げかけるがジャックの写真やイメージを投げかけれたジャックはうまく答えることができず、夜になったらと逃げる。組合長が労働者たちに議論を求めても受け入れられない状況と同じだ。言葉とイメージは資本主義に汚染され、会話が画一化されて自由に行なわれない。自分の知らないこと、よくわからないことを尋ねられると答えに窮し、考えることもできずそのまま逃げる。資本主義の辞書にない答えは存在しないも同然なのだ。二人はそれぞれの職場に赴き、考える。


つづいて資本主義の権化であるスーパーマーケットのレジの様子が長い移動撮影により映し出される。左から右へ。大きなかごに多くの商品を入れた買い物客と抽象的な文言を売りつける党員。右から左へ。反資本主義の若者たちが乱入し、ぜんぶタダだ、と叫び、買い物客を誘導し祭りが始まる。買い物客は笑顔で出口に向かい、若者たちは商品をかごに投げ入れて走る。その先には警官あるいは警備員がいて衝突する。デモ、鎮圧。

おとぎ話に興味のない大人たちのためのおとぎ話。

恋愛模様を描いたらいいという皮肉めいた冒頭に呼応するようにスーザンとジャックがカフェで再会し、会話を始めるところで終わる。「ウィークエンド」のアリスと一緒にいた道化と同じく結論めいたものは言わず、中身だけを見せる。たった1、2時間の映画のなかで結論、終わりなど迎えられるはずがない。どんなおとぎ話も決して終わりはない。


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