ジャン=リュック・ゴダール「女は女である」
脈絡なくいきなり歌い出すミュージカルは見て来なかった。「ドリームガールズ」だったかビヨンセと二人の引き立て役の三人がバカ売れポップトリオになる映画をスペインの長距離バスで見た(音無し)が、深刻な顔になってうつむく不器量な女が大きく口を開いて歌い出すシーンは唖然とした。
オペラのように喉を震わせてやたらと語尾をのばしてポップスを歌う女は不可解な存在として小さなスクリーン一杯に広がっていた。そういう映画だった。
「女は女である」では若かりし「可愛い」アンナ・カリーナ(アンジェラ)が小さな酒場のショーガールとして歌う。伴奏はゴダールによって止まったり大きな音でなり出したりしておよそ従来のミュージカルとは言い難いが、あれだけ音楽と会話、歌が一緒くたにされていればミュージカルが念頭に置かれていないわけがない。
恋人のエミールはおふざけものでアンジェラが「子どもがほしい」と言っても真剣に取り合ってくれず、喧嘩してしまう。そこにジャン=ポール・ベルモンド演じるアルフレッドがアンジェラに求愛する男として現れて三人の関係ができる。トリュフォーの「突然炎のごとく」が引用されるが(ジュールとジム)対照的に軽い三人が描かれる(こののちに三人ものの傑作「はなればなれに」がつくられる)
アンジェラは絶えず子どもがほしいと言い続け、ふざけることにもうんざりしてきたエミールは「やけをおこして」メキシコへ行くと言い出し、エミールの浮気写真をアルフレッドに見せられたアンジェラはアルフレッドと寝てしまう。しかし、結局最後は仲良くベッドで子づくりに励む。
ミュージカルらしい軽さに満ちたラブコメディ。
ゴダールの色彩が映画全体にあり、「きれい」だ。アンナ・カリーナのショーでのクローズ・アップ、赤と青の服。アンナ・カリーナに当たるライトはくるくるまわって色を紫や青、ピンクに染めるがアンナ・カリーナはいっこうに染まらず赤と青に留まり続ける。子どもとエミールのことしか頭にない。お尻をふりふり摺り足で歩くアンナ・カリーナは可愛らしさを見せつける。「笑うべきなのか泣くべきなのかわからない」というような台詞を涙目で言われてしまえばいちころだろうにエミールはぶれないまま喧嘩は進行する。掃除をしろと言われて箒を手にしたエミールは部屋の中でクリケットをし(フットボールのラジオに合わせて)、ギターにして歌う。
細部まで洒落が効いているが、笑えない人もいることだろう。ゴダールは万人受けしない。
コメディとして楽しむのもいいが、それだけでは終わらない。
この軽さが二人の恋人の生活から非現実的な演劇へと繋げる。退屈な日常を見せつけられることなくその当時の若者の軽い「恋愛」が映画になる。ベッドスタンドを持って暗い部屋の中を歩いていき、相手に本のタイトルで罵声を浴びせる。目玉焼きが空から降ってくる。カフェの店主を騙す。壁に頭をぶつける。サンルーフの上げ下げ。見つめ合いキスする喧嘩する。多くを語らず会話と快活な動きがなされるだけで、演劇の空間が出来上がり、感情移入などまったく問題になっていない。ひたすら美しく可愛いアンナ・カリーナと様々な手を用いて口説きにかかるベルモンド。
演劇は役者のためにあり、これから先ゴダールがつくる政治性の強い映画には見られない自由に動き回る役者がいる。
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