ヴィム・ヴェンダース「まわり道」「さすらい」

ヴェンダースロードムービー三部作の二作目。「都会のアリス(’73)」「まわり道(’74)」「さすらい(’75)」と一年に一作ペースでつくられた。本作はゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』を原作としており、文学色が強くやたらと主人公がオフの声でしゃべりまくる。
私小説風に自分の思ったことをこねくりまわして言っているだけで大したことは言っておらず、政治と文学が一体になればいいのに、だとかステレオタイプな今となっては恥ずかしいようなことまで言ってしまう。


ドイツの神経症イメージが紋切り型としてそのまま映画化されてしまった本作をヴェンダースはどう思っているのだろうか。個人的にはナスターシャ・キンスキーや常連のリュディガー・フォーグラーに期待していたのだが、前者はデビュー作なだけあってぎこちないし、後者は痛い文学青年であったため哀しい気分になった。「都会のアリス」と「さすらい」のあいだにあることが本作の位置づけを示していると思う。続編ではないが、つづきであり終わりではない微妙な関係がある。


ラスト近くの殺人未遂が何の前触れもなく唐突に行なわれて面食らったが、その後にしっかりと主人公のヴィルヘルム君が説明してくれる。説明しすぎなのだ。それを受けてか、「さすらい」では台詞がとことん削られている。本作のストーリーに関係のない、含蓄のありそうでない台詞は極力排除され、物語に連関したうえで価値をもつような台詞が「さすらい」に現れているし、何より男2人の関係の変遷がそこに組み込まれている。そして「さすらい」で何より素晴らしいのは二人がバイクとサイドカーに乗って木漏れ日が照らす山道を駆け抜けるところであり、Improved Sound Limitedの「Suicide Road」とともに観客をその二人のところへ連れて行く。感傷を捨てた二人の感情を動かす映像は観客を混乱させたまま新しい旅のイメージを吹き込んでくれる。


残念ながら本作「まわり道」ではヴィルヘルムの物思いや他の人たちの夢や女のヒステリーが見せつけられ、さらに疲労が注ぎ込まれる。しかし、旅をするならそれは避けられない。ロードムービーは登場人物が場所を転々としていくのにも関わらず、概して退屈である。それは観客はそこに座ったままで彼らと違ってどこにも行けないからであり、退屈でないロードムービーがあるとしたらそれは「さすらい」のようにどこかへ連れて行ってくれるイメージのおかげだ。どちらにしろどこかへ行ってもまた同じところへ戻ってくる。しかし、そこが同じ場所とは限らない。



さすらい [DVD]

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